田子たご)” の例文
白い股引もゝひき藁草履わらざうりを穿いた田子たごそのまゝの恰好かつかうして家でこさへた柏餅かしはもちげて。私は柏餅を室のものに分配したが、皆は半分食べて窓から投げた。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
右の方へは三保の松原が海の中へ伸びている、左の方は薩埵峠さったとうげから甲州の方へ山が続いている。前は清水港、檣柱ほばしらの先から興津おきつ蒲原かんばら田子たご浦々うらうら
大菩薩峠:07 東海道の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
根井ねのいの小弥太、滋野行親始め、上野国からは田子たごこおりの兵などがはせ集って、義仲の謀叛に参加する事を約束した。
山邊やまべ赤人あかひとを、もゝはなかすみあらはし、それ百人一首ひやくにんいつしゆ三枚さんまいめだ……田子たごうら打出うちいでてれば白妙しろたへの——ぢやあない、……田子たごうらゆ、さ、打出うちいでてれば眞白ましろにぞ、だと
雨ふり (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
ぜひなく道をかえて、田子たごという部落までのがれてゆく。ここは天目山の山裾という。春は撩乱りょうらんだが、見はるかす限りの野も山も今わの慰めにもならなければ頼みともならなかった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其のスラリとしたで肩の姿を、田子たごの浦へ羽衣はごろもを着て舞ひ下りた天人が四邊あたりを明るくした如く、この名も知れぬびしい神の森を輝かすやうに、孔雀くじやくの如き歩みを小池に近く運びながら
東光院 (旧字旧仮名) / 上司小剣(著)
水産講習所の田子たご教授が大正十二年九月一日すなわち関東大地震の当日の午前、十五名の学生を引き連れて、東京湾口の深い海底からプランクトンを採集する目的で、小舟に乗って出掛けて行った。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
小金井の桜、隅田の月夜、田子たごうらの浪、百花園の萩、何でも奥深く立体的に見えるので、ほかの人は子供だましだといふかも知れぬが、自分にはこれをのぞくのが嬉しくて嬉しくて堪らんのである。
病牀六尺 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
田子たごうらの名産と考えるようなものだ
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
先を飛ぶ田子たご大弥太の一騎はその影をさかにして沢道の疎林そりんのうちへ沈んで行く。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
退出たいしゆつせられけり時に享保きやうほ十年八月廿四日双方さうはう呼出しの面々めん/\笠原粂之進かさはらくめのしん煙草屋喜八家主平兵衞へいべゑ田子たごの伊兵衞中間ちうげん七助等なり大岡殿大音たいおんにて粂之進くめのしん刑法けいはふ役をもつとめ候身分にて盜賊たうぞく人違ひとちがつみなき喜八を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
きかせ給はるべしと云ひければ彼の男點頭うなづき我は田子たご伊兵衞いへゑと云ひて一とほりの盜賊に非ず百兩や二百兩の金はのみ大金とも思はず今迄いままで火附ひつけ人殺ひとごろ夜盜等よたうとうの數自分ながらも何程か知れず明日にも召捕めしとられ其罪科そのざいくわおこなはれなば汝今のなさけ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)