焦心あせ)” の例文
こういうお種の顔色には、前の晩に見たより焦心あせっているようなところが少なかった。その沈んだ調子が、かえって三吉を安心させた。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
勝利は、焦心あせらずに、やたらに動かない人に降る榮冠である。不斷に學問してゐる人物の「現在」は、決して前進のない現在ではない。
折々の記 (旧字旧仮名) / 吉川英治(著)
焦心あせる老武士を充分に焦心らせ、苦しめるだけ苦しめてやろうと、そう思ってでもいるように、ジワリジワリと迫り詰めていた。
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
しかし手のつけようのないなぞに気をむほど熱心なうらない信者でもないので、彼はどうにかそれを解釈して見たいと焦心あせ苦悶くもんを知らなかった。
彼岸過迄 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あたかも其氷屋の旗が、何かしらよう/\と焦心あせり乍ら、何もせずにゐる自分の現在の精神の姿の様にも思はれた。
氷屋の旗 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
取られ分を取りかえそうと焦心あせっているうちに、夜が更けて来た。連中には古くからなじみの男もあり、もう髭を生やして細君を持っているらしい顔もあった。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
自分も一台のくるまに乗りながら、何は載ったか、何は……ソレ、あの、何よ……と、焦心あせる程尚お想出せないで、何やら分らぬ手真似をして独り無上むしょうに車上で騒ぐ。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
仮令たとひ我輩が瀬川先生を救ひたいと思つて、単独ひとり焦心あせつて見たところで、町の方で聞いて呉れなければ仕方が無いぢや有ませんか。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
二すじまで射たが、弓はみなれた。焦心あせりながら、第三矢をつがえたが、あまり強く引いたので、弓は二つに折れてしまった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あんまり相手が冷静なので、まとはずした思いがした。で彼は焦心あせって来た。もっともっとえぐい事を云って、反応を見たいと思い出した。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
『主筆は十月一日に第一囘編輯會議を開く迄に顏觸れを揃へる責任を受負つたんで、大分焦心あせつてる樣だがね。』
札幌 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
焦心あせるな、今日あいつが柿岡へ出向くことはたしかなのだ。……七日の祈祷きとうは顕然とかいがあらわれたものといえる、前祝いに、一杯飲め」
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「少しく俺は焦心あせり出したぞ。いけないいけない冷静になろう」——で、柄から手を放して、静まった姿勢で相手を見た。
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
『主筆は十月一日に第一回編輯会議を開く迄に顔触れを揃へる責任を受負つたんで、大分焦心あせつてる様だがね。』
札幌 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
何程いくら私ばかり焦心あせつて見たところで、肝心かんじんうちひとなんにも為ずに飲んだでは、やりきれる筈がごはせん。其を思ふと、私はもう働く気も何も無くなつてしまふ。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
光秀の兵理軍学の蘊奥うんおうも、ここに至ってはすでに施し尽きていた。しかも彼は、今日明日のうちにも、敵城をみつぶさねばと焦心あせっていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肩からタラタラしたたる血は雪をくれないに染めるのであったが夜のこととて黒く見える。立とう立とうと焦心あせっては見たがどうしても足が云うことを聞かない。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
つまり批評家に成るにも批評の根底が見附からないと言ふんだね。焦心あせつちや可かんて僕は言つたんだが、松永君は、焦心あせらずにゐられると思ふかなんて無理を言ふんだよ。それもさうだらうね。
我等の一団と彼 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
旅から帰って来たばかりで、そう焦心あせるな。ず休め
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
亀山領内の民治には、明主ぞ仁君ぞと仰がれていながら、その政治的手腕にも似あわず、軍事にかけては、焦心あせり気味がみえ、不手際ふてぎわが目立った。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この戦国の乱れた世に鬱然うつぜんたる勢力を抱きながら眠れる獅子ししのそれのように諸国の武将に恐れられ、しかも己は焦心あせらず逼らず己が国土を静かに守り
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いくら僕等が焦心あせつたつてそれより早くはなりやしない。可いかね? そして假令それが實現されたところで、僕一個人に取つては何の増減も無いんだ。何の増減も無い! 僕はよくそれを知つてる。
我等の一団と彼 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
ただ焦心あせった。
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「それは当然そうなりましょうな。若い者は抑えても伸び、老いゆく者は、焦心あせっても焦心っても老いてゆくばかりで」
宮本武蔵:07 二天の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三度身をかわされても焦心あせらずかず、かえって落ち着き粘りを持ち、ジリジリと競り詰め、ソロソロと進んだ。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
自分が逆境の中に、他人の栄達を聞いて、共によろこびを感じるほど、朱雋しゅしゅんは寛度でない。彼はなお、焦心あせりだして
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
放胆で自由で新智識で、冒険心もある茅野雄だったので、そういう今のような境遇にあっても、あえて焦心あせりはしなかったが、多少の屈託にはなっていた。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
先を急ぐことに焦心あせりきっている梅軒の眼には、ただではあり得なそうな二人の刹那の驚きも眼にはとまらないらしく
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
背後うしろに積重ねてある夜具へ体をもたせかけ、焦心あせっている眼で、お力が持って来て、まだ瓶にもさず、縁側に置いてある椿つばきの花を見たり、舞込んで来たちょう
甲州鎮撫隊 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と、焦心あせりたがる気持と、がくがくわななく体力とが、とたんに一致を欠いてしまって、思わずどての小松の蔭へ、ぺたっと坐ってしまったのである。
宮本武蔵:04 火の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
西条様はじめお侍さんたちも、刀を構えて焦心あせっているばかりで、どうすることもできませんでした。
怪しの者 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
勝家は、一かつ、大きく顔を振ったが、左右の人々は、押し上げるように、彼の体を、鞍の上へ移そうと焦心あせっていた。
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いいえ私でございます! 右門奴がおわかりになりませぬか」右門は焦心あせって云うのであった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「そちは、検断所でも、一、二を争う者なるに、こんどの変では、まだ何らの功も見せてはおらん。それゆえ、部下も焦心あせるのであろ。何しておるか」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と範之丞、馳せ寄って無頼の若侍どもを、切り崩そうと焦心あせるのであったが、いつかおのれの前へ廻り、織江との中をさえぎって、上段に刀を振り冠り、動かば一討ちと構えている。
血煙天明陣 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
焦心あせる必要はもうない。今はそッとしておいて、又右衛門の気もちが、もう一歩、好転するなり、よい口ききが、他から現われるのを待つのが上策」
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
遅い月が出たばかりで野面のづら蒼茫そうぼうと光っている。微風にびんの毛を吹かせながらかず焦心あせらず歩いて行くものの心の中ではどうしたものかと、策略を巡らしているのであった。
八ヶ嶽の魔神 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
あまり与右衛門が焦心あせって督励し過ぎたため、渓流の護岸工事で仕事をしていた者が、そこの崖崩れに合って、十何人かいちどに生埋めになって死んだ。
(新字新仮名) / 吉川英治(著)
と云うのは河中に転落したお客が船舟べりにつかまりながら生命の危険なんかそっちのけにして、流れて行く一本の雨傘をとらえようとして手を延ばし焦心あせ煩悶うめいていたからさ。
赤げっと 支那あちこち (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
と、敢て誇れば、当然、棒の一撃にのめるであろうし、焦心あせりを持つだけでも、呼吸にうける圧迫から、身体のみだれをどうしようもなくなってしまう。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
えりを抜けるほど衣紋えもんから抜いて薄白く月光に浮き出させて、前こごみに体を傾けて、足のもどかしさに焦心あせりながらも、しかし武術のたしなみはある、決して口で呼吸をしないで
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
自分でもそろそろ焦心あせってもおろうから、こんどの縁談はなしには、否やはあるまいと思う。……ただ、婚儀の準備だが
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
仏蘭西フランスを見ろ仏蘭西を! ナポレオン三世の奸雄かんゆう振のいかに恐ろしいかを見るがいい! 日本の国土を狙っているのだ。内乱に乗じて侵略し、利権を得ようと焦心あせっているではないか。
大捕物仙人壺 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
二人とも、意見はこう一致して、ひどく戦に焦心あせっていたが、謀将の賈詡かくがひとり諫めて承知しないのである。
三国志:04 草莽の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
身を絞って紋也の羽掻い締めから、のがれようのがれようと焦心あせるようにしたが
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
陽は午後に入りかけたのに、今日もなお、輦輿れんよの人馬が有年の山寺を出たという飛報はここへ来なかった。五郎はようやく、焦心あせり疲れと、疑惑を抱いて
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ひたむきに権を助けようとして焦心あせるばかりで、権に対し、怒りも悲しみも怨みもしていない様子を見ると、やはり権が、自分の娘へ毒牙を加えなかったことを、認めるより仕方がなかった。
猿ヶ京片耳伝説 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「土肥のことなら、あの弟にも、ちと臭いねたが上がっている。焦心あせるこたあない。きっと、取ッちめてやる」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
彼らの上がって行く絶壁の彼方あなた、雪に蔽われた林の中から、不思議の音と掛け声とが、ある不規則の間を置いてひっきりなしに聞こえてはいたが、焦心あせって上がる三人には何んの音やら解らなかった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「勝とう勝とうと焦心あせらぬがよいぞ。天命にまかせろ。万一のことがあったら、骨は源左衛門がひろってやる」
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)