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また『古語拾遺こごしゅうい』によれば、その天日鷲命が東国経営の際に、穀の木をえられた地方が今の下総しもうさ結城ゆうきであったとも言われている。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
五月には廓で菖蒲しょうぶえたという噂が箕輪の若い衆たちの間にも珍らしそうに伝えられたが、十吉は行って見ようとも思わなかった。
箕輪心中 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
新しい家に移ってからは、空地に好める樹木をえたり、ほんの慰み半分に畑をいじったりするぐらいの仕事しかしないのである。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
爺達おやぢたちはうきを持つて一塵も残らないやうに境内を掃ききよめた。若い女達はさま/″\の色彩を持つた草花を何処からか持つて来てゑた。
ある僧の奇蹟 (新字旧仮名) / 田山花袋(著)
キキョウは山野さんや向陽地こうようちに生じている宿根草しゅっこんそうであるが、その花がみごとであるから、観賞花草として人家じんかえられてある。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
父蘭軒の時からの居宅で、頗る広大なかまえであった。庭には吉野桜よしのざくらしゅえ、花の頃には親戚しんせき知友を招いてこれを賞した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
毎人その一片を自分の畑へえてから銘々専食すべきカッサヴァが出来た(一八八三年板、イム・ターンの『ギアナ印甸人インディアン中生活記』三七九頁)
一 市川松莚いちかわしょうえん君この頃『本草図譜ほんぞうずふ』『草木育種』『絵本野山草のやまぐさとうに載する所の我邦在来の花卉かきを集めて庭にゆ。
一夕 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
そんな頑丈がんじょうな身体をしているし、辛抱強いのに、机の前でいじけてるのはつまらないじゃないか。先日こないだ山から見た島を借りて桃をえても、後の泥山をひらいても何かできそうじゃないか。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
すみれ苧環をだまき、櫻草、丁字草ちやうじさう五形げんげ華鬘草けまんさうたぐひは皆此方にゑて枕元を飾るべし。
花枕 (旧字旧仮名) / 正岡子規(著)
我等は再び車に乘りに上りぬ。四邊あたりの草木はいよ/\茂れり。車に近き庭園、田圃の境には、多く蘆薈ろくわいゑたるが、その高さ人の頭を凌げり。處々の垂楊の枝はれて地に曳かんとせり。
何べんもばらがかきねのようになった所をけたり、すすきがみのように見える間を通ったりして、私は歩きつづけましたが、野原はやっぱり今まで通り、小流れなどはなかったのです。
茨海小学校 (新字新仮名) / 宮沢賢治(著)
家の庭苑そのにも、立ち替り咲き替って、、草花が、何処まで盛り続けるかと思われる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返ったような時が来る。池には葦が伸び、がまき、ぬきんでて来る。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
ゑし植ゑば秋なき時や咲かざらむ花こそ散らめ根さへ枯れめや
或る国のこよみ (新字旧仮名) / 片山広子(著)
将来の足掛あしがかりを、求めようとしたであろうし、えてみのりを待つほどの忍耐をもって、気永きながに風と潮行しおゆきとを観測してゆくとすれば
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
私の邸内にある樹木、これは皆な私が来てからゑたものだ。もとは木も何もなく、無論家屋もなく、一けいの芝畠であつた。
自からを信ぜよ (新字旧仮名) / 田山花袋田山録弥(著)
宿根草しゅっこんそうで、これを人家の庭にえてもく育ち、毎年花が咲いてかわいらしい。葉は一かぶから二、三枚ほどでて毛がある。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
わざとらしく曲りくねった松をえたり、檜葉ひばをまん丸く刈り込んだりしてあるのは、折角せっかくながらかえって面白くない。
薬前薬後 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
石を置けばかならず松をうるというようなきまりきった形式は述斎の忍得しのびうるものではなかったのであろう。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
少し洒落しゃれては那覇墓なはばかと唱う、琉球の墓は女根にかたどる、普通その上と周縁に松やうず樹すすき等をえ茂らす、しかるに那覇近所の墓に限り多くは樹芒少なく不毛故の名らしい。
これは早く父允成の愛していた木で、抽斎は居を移すにも、遺愛の御柳だけは常におるしつに近い地にえ替えさせた。おる所を観柳書屋かんりゅうしょおくと名づけた柳字も、楊柳ようりゅうではない、檉柳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
青年会の人が松を山へえたんじゃけど、じきに枯れてしもうたのじゃもの、桃もつく処へはどこへでも栽えてるし、この辺の土地は衰微すいびしるとも今よりようなりゃせんと勝は思うがな。
入江のほとり (新字新仮名) / 正宗白鳥(著)
窓前の大鳥籠には中に木をゑて枝々にわらの巣を掛く
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
紀州の熊野ではカミナリグサ、あるいは弁慶草べんけいそうのことだという土地もあるが(有田)、これをえて置くと雷が落ちぬといっている。
ハナショウブは、ふつうに水ある泥地でいちに作ってあるが、しかし水なき畑にえても、くできて花が咲く。宿根性草本しゅっこんせいそうほんで、地下茎ちかけい横臥おうがしている。
植物知識 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
街路樹に柳をえている町はあるが、その青い蔭にも今は蝙蝠の飛ぶを見ない。勿論、泥草鞋や馬の沓などを振りまわしているような馬鹿な子供はない。
薬前薬後 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
成善はこの年十月ついたちに海保漁村と小島成斎との門にった。海保の塾は下谷したや練塀小路ねりべいこうじにあった。いわゆる伝経廬でんけいろである。下谷は卑溼ひしつの地なるにもかかわらず、庭には梧桐ごとうえてあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
日本でもこの風を移してこの日小松を引いて松明たいまつを作り鼠をふすべて年内の鼠害を禁じたのが子の日に小松を引いた起りで、後には鼠燻しは抜きとなり、専ら小松をえて眺め飲み遊ぶに至ったので
鳳仙花ほうせんかは近世に外国から入って来た草かと思われるのに、現在は全国えておらぬ土地もなく、その名前がまた非常に変化している。
ここらの習いで、かなりに広い庭には池を掘って、みぎわには菖蒲あやめなどがえてあった。青いすすきも相当に伸びていた。
半七捕物帳:64 廻り灯籠 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
シベリア、北支那方面から我が日本に分布せる宿根草で水辺あるいは湿原に野生し、我邦では無論かく自生もあれど通常は多くこれを池畔にえてある。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
しからば多くの日本人は何を着たかといえば、勿論もちろん主たる材料は麻であった。麻は明治の初年までは、それでもまだ広くえられていた。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
わたしが現在住んでいるのは半蔵門に近いバラック建の二階家で、家も小さいが庭は更に小さく、わずかに八坪あまりのところへ一面に草花がえている。
薬前薬後 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
その時の用意として、今私の庭にはそれがえてあって毎年よく花穂を出している。
瞿麦なでしこの花をえると天人が降りるということを聞いて、庭にその種子をいて見ると、果して天人が降りて来て水に浴して遊んだ。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
門のきわには高い八つ手がえてあって、その葉かげに腰をかがめておてつが毎朝入口をいているのを見た。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ツバキは我邦到る処に見る常緑の小喬木で、山地に自生するものもあればまた庭園にえてあるものもある。山に在るものは一重の赤花を開きこれをヤマツバキともヤブツバキとも称する。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
普通は勝手なかわら隙間すきまなどに巣を掛け、それがまた並んでいるのを見究め難いが、私が自分の寝る室の窓の前に、柱のような木を一本
わたしのうちのあき地にも唐もろこしをえてあって、このごろはよほど伸びた長い葉があさ風に青く乱れているのも、又おのずからなる野趣がないでもない。
三浦老人昔話 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
羊歯しだ類、蘭類、サボテン類などをはじめとして種々な草木をえ込んで、内部を熱帯地にぞらえ、中でバナナも稔ればパインアップルも稔り、マンゴー、パパ〔イ〕ヤ、茘枝れいし、竜眼など無論の事
昔は京都ではこの木を獄舎の門にえてあって、罪人の首をってこれにけたことが、『源平盛衰記』その他の軍書に何箇所も見えている。
アテヌキという地名 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
門のきわには高いえてあって、その葉かげに腰をかがめておてつが毎朝入口をいているのを見た。
二階から (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
われわれがまだこの花をえて賞美しなかった時代から、すでにこの付近の天然を占拠したこと、たとえば熊襲くまそ隼人はやとのごときものであったろう。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
門口かどぐちには目じるしのような柳の大木がえてあって、まばらな四目垣よつめがきの外には小さい溝川どぶがわが流れていた。
人にだまされて海鳥の羽毛をりに行ったのだったが、食料のためにいもえてみたけれども、たちまち鼠にい尽されて絶望したという話である。
海上の道 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
彼は奇特きどくの男で、路ばたにたくさんのにれの木をえて、日蔭になるような林を作り、そこに幾棟の茅屋かややを設けて、夏の日に往来する人びとを休ませて水をのませた。
それから土地によると、両側に長葉の楊樹かわやなぎえてあり、路傍の人家も努めてその蔭に寄って住もうとしている。この木の幹はまた思い切って黒い。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
世間一般からは余りに高く評価されない花ではあるが、ここへ来てから私はこの紫苑がひどく好きになった。どこへ行っても、わたしは紫苑をえたいと思っている。
綺堂むかし語り (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
真山の方では光飯廃寺のもとの庭に、中興大師のお手えと称するかやの大樹が、依然としておおいに茂り栄えている。
雪国の春 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
世間一般からはあまりに高く評価されない花ではあるが、ここへ来てから私はこの紫苑がひどく好きになった。どこへ行っても、わたしは紫苑をえたいと思っている。