“伝経廬”の読み方と例文
読み方割合
でんけいろ100.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
専六は成善に紹介せられて、先ず海保の伝経廬でんけいろり、次で八月九日に共立学舎に入り、十二月三日に梅浦精一うめうらせいいちに従学した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
海保漁村、名は元備げんびあざな純卿じゅんけい、また名は紀之きし、字は春農しゅんのうともいった。通称は章之助しょうのすけ伝経廬でんけいろの別号がある。寛政十年に上総国かずさのくに武射郡むさごおり北清水村きたしみずむらに生れた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
竹逕の養父に代って講説することは、ただ伝経廬でんけいろにおけるのみではなかった。竹逕は弊衣へいいて塾をで、漁村に代って躋寿館にき、間部家まなべけに往き、南部家に往いた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)