暗闇くらやみ)” の例文
それで、私は、いつも自分の心の、肉の食慾を樂しましてゐたのだ。その代りに私は暗闇くらやみの中に見える想像の畫で自分を樂しませた。
彼は窓の所へ行き、息苦しいかのようにそれをいっぱい開き、そして暗闇くらやみの前に立ちながら、街路の方に暗夜に向かって語り始めた。
もと/\二人ふたりでする事を一人ひとりねる無理な芸だから仕舞には「偉大なる暗闇くらやみ」も講義の筆記も双方ともに関係が解からなくなつた。
三四郎 (新字旧仮名) / 夏目漱石(著)
クリストフは、寝台の上につみ重なってるまくらや、オリヴィエの疲れた顔をながめた。暗闇くらやみの中でもがいてるその姿が眼の前に浮かんだ。
この真の暗闇くらやみの中で泥棒だのオイハギの殆どないのは、どういうわけだろう、私の関心の最大のこと、むしろ私の驚異がそれであった。
魔の退屈 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
「こん畜生! 貴様はいっさいをぶちこわしてしまったのだ。貴様はおれの一生を暗闇くらやみにしてしまったのだ。貴様がなければ……」
暗闇くらやみから出てゆくことは、まるで襲いでもするような格好になり、少なくとも相手を非常に驚かすことになったにちがいなかった。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
ねらつて居るんです。フト、暗闇くらやみで人の眼を見たり、——私を狙つて居る不氣味な眼でした、——さうかと思ふと、キラリと刄物を見たり
けれども、すぐにまったくの真っ暗闇くらやみとなり、私たちはただその男がみんなの真ん中に立っているのを感ずることができるだけだった。
それは私のすぐそばから叫び出したのであるが、わたしが暗闇くらやみのうちをじっと見つめた時には、何も見分けることは出来なかった。
玄関の戸が内からあいて、細おもての古風な匂いのする、私より三つ四つ年上のような女のひとが、玄関の暗闇くらやみの中でちらと笑い
斜陽 (新字新仮名) / 太宰治(著)
暗闇くらやみの広っぱを横ぎりながら、あれかこれかと思いめぐらすうちに、やがて、ある恐ろしい考えが、火花のように明智の頭にひらめいた。
人間豹 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
しかし、その御厨ノ伝次は、ちょっと前、八郎太に連れ出されて、隣のねぐらを離れたと思うと、たちまち彼方の暗闇くらやみで呶号していた。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
私がすぐさまかんぬきをさし、私たちは、船長の死体のある家の中にただ二人きりで、暗闇くらやみの中でちょっとの間はあはあ喘ぎながら立っていた。
と、その姿で……ここは暗闇くらやみだ。お聞きになるあなたの目に、もう一度故郷くにの一本松を思い浮べて頂きたい。あの松の幹をです。
雪柳 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ぞ極めける或日又々郡奉行伊藤半右衞門は傳吉を呼出し汝が何程いつはりても惡事は最早知れてあり其夜暗闇くらやみにて昌次郎とあらそひしを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
しまりをつける頭もつかわず、見張り番の目もつかわずに、ただ手足ばかり動かすのは、ちょうど暗闇くらやみで仕事をしているようなものでしょう。
女中訓 (新字新仮名) / 羽仁もと子(著)
日が暮れて夜が静かに忍びよるのではなく、この海辺に夜の来る感じは、いきなり暗闇くらやみが襲ひかかるといふ方が当つてゐる。
晶子鑑賞 (新字旧仮名) / 平野万里(著)
船長が、とつおいつ、覆面ふくめんの敵に対してこののちどうしようかと、思案しあんにくれていたとき、そばにいた古谷局長が、暗闇くらやみの中から声をかけた。
幽霊船の秘密 (新字新仮名) / 海野十三(著)
そして、つい近ごろまで輝くほど健康で美しかった人が、こんなに急に「暗闇くらやみ蛆虫うじむし」の墓に運び去られたのを、いぶかしく思っているだろう。
傷心 (新字新仮名) / ワシントン・アーヴィング(著)
はじめお客は、どこかの子供たちが暗闇くらやみ戸惑とまどいして、この部屋へまぎれんだのかも知れないと思いました。それで
神様の布団 (新字新仮名) / 下村千秋(著)
「まあ暗い、まだおあかりも差し上げなかったのでございますね。まだお暑苦しいのに早くお格子を下ろしてしまって暗闇くらやみに迷うではありませんかね」
源氏物語:52 東屋 (新字新仮名) / 紫式部(著)
馬もまた、そこの暗闇くらやみにうづくまつて、先祖と共に眠つてゐるのだ。永遠に、永遠に、過去の遠い昔から居た如くに。(『大調和』1927年9月号)
田舎の時計他十二篇 (新字旧仮名) / 萩原朔太郎(著)
……良子は、はじめて小説の中の人物のように、自分があることを積極的に欲しているのを知った。暗闇くらやみの中で、幾度も頬が燃えるようにあかくなった。
一人ぼっちのプレゼント (新字新仮名) / 山川方夫(著)
その障子はまた静かに閉まつて、みしみしと畳をふむ音がした。重くかぶつてくる男の体重に胸を押されて、ゆき子ははつとして、暗闇くらやみに眼を開いた。
浮雲 (新字旧仮名) / 林芙美子(著)
行燈あんどんはほのかにともっていたものの、日向ひなたから這入はいってたばかりのまつろうには、うちなか暗闇くらやみであった。
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
「そういうわけさ、ね、それでおしまいさ。眼玉もなくなるし、なにもかもなくなる。へっついのなかの暗闇くらやみばかり……」
にんじん (新字新仮名) / ジュール・ルナール(著)
しかし佐助はその暗闇くらやみを少しも不便に感じなかった盲目の人は常にこう云う闇の中にいるこいさんもまたこの闇の中で三味線を弾きなさるのだと思うと
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
こう思うと、彼の胸は急に暗闇くらやみになった。彼は自分の抱えている女を、どう処置していいか判らなくなってきた。
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
スヴィドリガイロフの心の中では恐ろしい暗闇くらやみの一瞬間が過ぎた。名状し難いまなざしで彼は女をみつめていた。
奈落の暗闇くらやみで、男に抱きつかれたといったら、も一度此処ここでも、きもを冷されるほどしかられるにきまっているから、弟子でし娘は乳房ちぶさかかえて、息を殺している。
市川九女八 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
覚えてゐるか? いや、きつと、暗闇くらやみで、わからなかつたらう。だが、そいつは、お前に遺恨でもあつたのか。
クロニック・モノロゲ (新字旧仮名) / 岸田国士(著)
私等は奥の院の裏手に廻り、提灯を消して暗闇くらやみに腰をおろした。其処そこは暗黒であるが、その向うに大きな唐銅からかねかなへがあつて、蝋燭らふそくが幾本となくともつてゐる。
仏法僧鳥 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
私は暗闇くらやみの中で、時男さんの手から糸巻を受けとつて、さはつて見ると、なるほど糸のはしが切れてゐます。
時男さんのこと (新字旧仮名) / 土田耕平(著)
わたくしのような強情かたくななものが、ドーやら熱心ねっしん神様かみさまにおすがりする気持きもちになりかけたのは、ひとえにこの暗闇くらやみ内部なかの、にもものすごい懲戒みせしめたまものでございました……。
あゝやさしく心あたゝかく、世を紅に染めし我等をもかへりみ、暗闇くらやみの空をわけつつゆく人よ 八八—九〇
神曲:01 地獄 (旧字旧仮名) / アリギエリ・ダンテ(著)
火把たいまつを先に立てて、浅く段をつけた幅広の上り段を上って行ったが、その火把はあたりの暗闇くらやみを掻き乱し
葉子は息気いきせき切ってそれに追いつこうとあせったが、見る見るその距離は遠ざかって、葉子は杉森すぎもりで囲まれたさびしい暗闇くらやみの中にただ一人ひとり取り残されていた。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
追いつかれたものを見れば、なんの人騒がせな、暗闇くらやみから牛の本文通り、これはチュガ公でありました。
大菩薩峠:28 Oceanの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
しかし、ただきれぎれの音譜おんぷしか、わたしの光は照らすことができませんでした。その大部分は、わたしにとってはいつまでも暗闇くらやみの中に残されることでしょう。
それから何秒後のことかはっきりしないが、突然、私の頭上に一撃が加えられ、眼の前に暗闇くらやみがすべりちた。私は思わずうわあとわめき、頭に手をやって立上った。
夏の花 (新字新仮名) / 原民喜(著)
……まったく……魔物らしい妖気が、小僧の背後うしろ暗闇くらやみから襲いかかって来たように思ったもんだよ。
難船小僧 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
たちまよる暗闇くらやみなかはげしい水煙みづけむりつて、一人ひとり兵士へいし小川をがはなかにバチヤンとんでしまつた。
一兵卒と銃 (旧字旧仮名) / 南部修太郎(著)
書きかけては鉛筆をめながら眼をあげた。どのへんだか、何時頃だか判らなかった。ただ激しい風と暗闇くらやみいて疾走はしりつづけている列車の轟音ごうおんだけがきこえていた。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
暗闇くらやみの中から大勢の人間が駆け寄ってくる足音が地を揺るがした。遠くのほうで犬がえだした。
恐怖城 (新字新仮名) / 佐左木俊郎(著)
「おう、お前様は晩方お泊りの尼さんでは御座んせぬか。あなたのお部屋は表二階。それがいかに暗闇くらやみとは云いながら、間違えるのに事を欠いて、離れ座敷のここへは?」
備前天一坊 (新字新仮名) / 江見水蔭(著)
暗闇くらやみに声を掛けたが、答えず、思わぬ大金をもらって気が変になったのか強くなったのか、こともあろうにそれは見習弟子だとやがて判った。あらがったが、なぜか体がもろかった。
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
で、夜になるといつも、小松屋の店の硝子戸ガラスどの外に来て口笛くちぶえを吹いたり、暗闇くらやみの中に煙草たばこの火をちらつかせたりして私に合図あいずをした。すると私は、何とか口実こうじつをつけては家を出た。
厚い五、六尺もあろうと思われる壁の中に——真暗まっくら咫尺しせきも弁ぜぬ——獄舎の中に何年何十年と捕われていた時に彼は何を友としたか。暗闇くらやみにちょろちょろ出てくる鼠を友人としたのだ。
イエスキリストの友誼 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
あかりのない暗い廊下みたいなところを通って、とある部屋の中へ押し入れられた。暗闇くらやみの中を手探りすると、畳の敷いてない床に、荒らい毛の毛布があったので、それにくるまって横になった。
六月 (新字新仮名) / 相馬泰三(著)