“右(か)” の例文
左(と)に右(か)く紅葉の政治的才幹が硯友社を結束し、美妙が忽ち背(そむ)いて孤立したのが二者の成功を著るしく懸隔さした一つの原因であった。
も一つは余が餘りに君とは近親であるから平常君が文學書など繙(ひもと)いて居るのを知つて居ても、所謂文士仲間に左(と)や右(か)う言はれる程では勿論ないし
左(さ)う右(か)うしてるうちに、お定は小学校も尋常科だけ卒へて、子守をしてる間に赤い袖口が好になり、髮の油に汚れた手拭を獨自(ひとりで)に洗つて冠(かぶ)る樣になつた。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
旅人が馬を水城(みずき)(貯水池の大きな堤)に駐(と)めて、皆と別を惜しんだ時に、児島は、「凡(おほ)ならば左(か)も右(か)も為(せ)むを恐(かしこ)みと振りたき袖を忍(しぬ)びてあるかも」(巻六・九六五)
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
露国へ行って何をするツモリであった乎(か)は友人中の誰にも精しく話さなかったが、左(と)に右(か)く出発に先だって露国と交渉する名士を歴訪し
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
左(さ)う右(か)うしてるうちに、お定は小学校も尋常科だけ卒へて、子守をしてる間に赤い袖口が好きになり、髪の油に汚れた手拭を独自(ひとりで)に洗つて冠る様になつた。
天鵞絨 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
先きにも一寸述べた通り世間で左(と)や右(か)う云ふからどんなかと思つて居たらまだあんなものを
左(と)に右(か)くこの間は衣食の安定を得たので、思想を追究するあたかも餓(う)ゆるが如き二葉亭は安心して盛んに読書に没頭した。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
左(さ)う右(か)うしてるうちに、階下(した)では源助が大きな噯(あくび)をする聲がして、軈てお吉が何か言ふ。五分許り過ぎて誰やら起きた樣な氣色(けはひ)がしたので、二人も立つて帶を締めた。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
本(も)と本と二葉亭は軍事であれ外交であれ、左(と)に右(か)く何であろうとも東亜の舞台に立って活動したいのが夙昔(しゅくせき)の志であった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
左(さ)う右(か)うしてるうちに、階下(した)では源助が大きな噯(あくび)をする声がして、軈(やが)てお吉が何か言ふ。五分許り過ぎて誰やら起きた様な気色(けはひ)がしたので、二人も立つて帯を締めた。
天鵞絨 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
左(と)に右(か)く多くの二葉亭を知る人が会わない先きに風采閑雅な才子風の小説家型であると想像していたと反して、私は初めから爾(そ)うは思っていなかった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
左(さ)う右(か)うしてるうちにも、神經が鋭くなつて、壁の彼方から聞える主人夫婦の聲に、若しや自分の事を言やせぬかと氣をつけてゐたが、時計が十時を打つと、皆寢て了つた樣だ。
天鵞絨 (旧字旧仮名) / 石川啄木(著)
いわば夷子講(えびすこう)の茶番のようなものであったが、左(と)に右(か)く文士劇の先駈(せんく)をしたので、何事にも新らしい試みに率先した当時の硯友社の意気を窺(うかが)う事が出来る。
左(さ)う右(か)うしてるうちにも、神経が鋭くなつてゐて、壁の彼方から聞える主人夫婦の声に、若しや自分の事を言やせぬかと気をつけてゐたが、時計が十時を打つと、皆寝て了つた様だ。
天鵞絨 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
普通の常識では豪(えら)いか馬鹿かちょっと判断が出来ないが、左(と)に右(か)く島田は普通の人間の出来ない事をするよ——
三十年前の島田沼南 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
それ見ろ、猫や犬の方がまだ健気(けなげ)な処がある。此牧師さんも内心は猶(ま)だ怪しいが、左(と)も右(か)く外見(みかけ)だけは立派だ。
犬物語 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
左(と)に右(か)く黒紋付の対(つい)に仙台平(せんだいひら)という拵(こしら)えだったから、岡目(おかめ)には借金に苦(くるし)められてるとは少しも見えなかった。
尤も一枚こっきりのいわゆる常上着(じょうじょうぎ)の晴着(はれぎ)なしであったろうが、左(と)に右(か)くリュウとした服装(なり)で、看板法被(かんばんはっぴ)に篆書崩(てんしょくず)しの齊の字の付いたお抱(かか)え然たる俥(くるま)を乗廻(のりまわ)し
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
手段は少(ち)と極端過ぎたかも知れんが目的は中々立派なものだ。我々は左(と)に右(か)く御恩を荷つた身分だから今でも忝く思つてる。綱吉公は我々の為にはヱス基督(キリスト)だ子。
犬物語 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
それ以外にもアチラコチラの新聞雑誌社から寄書を依頼されるという日の出の勢いであったから、紅葉は左(と)に右(か)く他の硯友社同人と伍(ご)するには余りに地位が懸隔し
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
舞台の正面を切る役者になるならぬは問題でなくして、左(と)に右(か)く二葉亭をしてこの余りに大き過ぎて何人にも予想出来なかった露西亜の大変動に直面せしめたかった。
二葉亭追録 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
どんな話をしたか忘れてしまったが、左(と)に右(か)く初めて来たのであるが、朝の九時ごろから夕方近くまで話して帰った。その間少しも姿勢をくずさないでキチンとしていた。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
緑雨の耽溺(たんでき)方面の消息は余り知らぬから、あるいはその頃から案外コソコソ遊んでいたかも知れないが、左(と)に右(か)く表面は頗る真面目(まじめ)で、目に立つような遊びは一切慎しみ
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
陳列換えは前総長時代からの予(かね)ての計画で、鴎外の発案ではなかったともいうし、刮目(かつもく)すべきほどの入換えでもなかったが、左(と)に右(か)く鴎外が就任すると即時に断行された。
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
彦少名命(ひこすくなのみこと)を祀るともいうし、神功皇后(じんぐうこうごう)と応神天皇とを合祀(ごうし)するともいうし、あるいは女体であるともいうが、左(と)に右(か)く紀州の加太(かだ)の淡島神社の分祠で、裁縫その他の女芸一切
その中で左(と)に右(か)く画家として門戸を張るだけの技倆がありながら画名を売るを欲しないで
シカモ家族を伴(つ)れて来るというは余り思掛けなかったが、左(と)も右(か)く二階へ通せと半信半疑でいうと、やがてトントン楷段(はしご)を上って来たのは白地の浴衣(ゆかた)の紛れもない大杉であった。
最後の大杉 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
処で左(と)も右(か)くも学士は二人切(ふたりぎり)だから他の候補者を下目(しため)に見て暗に華尾君と競争してゐた。
犬物語 (新字旧仮名) / 内田魯庵(著)
左(と)に右(か)く天禀(うまれつき)の才能に加えて力学衆に超(こ)え、早くから頭角を出した。万延元年の生れというは大学に入る時の年齢が足りないために戸籍を作り更(か)えたので実は文久二年であるそうだ。
鴎外博士の追憶 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
早稲田における坪内君の功蹟は、左(と)も右(か)くも文壇に早稲田派なるものがあって、相応に文学に貢献もすれば勢力も持ってる一事が明白に証明しておる。これ以上一語を加うる必要がない。
木口(きぐち)は余り上等とも思わなかったが、左(と)に右(か)く木の香(か)のする明るい新築だった。
美妙斎美妙 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
左(と)に右(か)く二葉亭は八門遁甲(とんこう)というような何処(どこ)から切込んでも切崩(きりくず)す事の出来ない論陣を張って、時々奇兵を放っては対手(あいて)を焦(じ)らしたり悩ましたりする擒縦(きんしょう)殺活自在の思弁に頗(すこぶ)る長じていた。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
晩年にはそれほど偏意地(かたいじ)ではなかったが、左(と)に右(か)く洋楽は嫌いであった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)