内弟子うちでし)” の例文
その他半蔵が内弟子うちでし勝重かつしげから手習い子供まで、それに荒町あらまちからのものなぞを入れると、十六、七人ばかりの人たちが彼を出迎えた。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
洋子は東京の名ある女流音楽家の内弟子うちでしで、玉村一家とは妙子を通じて懇意こんいの間柄、二郎とは父玉村氏も黙認している程の恋仲であった。
魔術師 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
女流歌人まつ三艸子みさこは長命であったが、その前身は井上文雄の内弟子うちでしめかけで、その後、深川松井町の芸妓小川小三おがわこさんである。
明治大正美人追憶 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
かりにそれががんちげえであっても、流儀の流れをうけた内弟子うちでしか門人か、どちらにしても、近親の若い女にちげえねえよ。
それが恩地小左衛門おんちこざえもんの屋敷のものだと云う事は、蘭袋の内弟子うちでしと話している言葉にもおのずから明かであった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
医者いしや内弟子うちでし薬局やくきよく拭掃除ふきさうぢもすれば総菜畠さうざいばたけいもる、ちかところへは車夫しやふつとめた、下男げなん兼帯けんたい熊蔵くまざうといふ、其頃そのころ二十四五さい稀塩散きゑんさん単舎利別たんしやりべつぜたのをびんぬすんで
高野聖 (新字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
色々考えた結果がココの女の写真屋の内弟子うちでしに住込ませて仕込んでもらってるらしかった。
二葉亭余談 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
為事しごとにも身を入れ、由次郎という内弟子うちでしもおいて、自分で横浜のお得意先きなども始終まわっていたが、子をくしてから、又酒にばかり親しむようになって、つい家もあけがちになった。
花を持てる女 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
その内弟子うちでしに住み込ませた。
最も早熟な一例 (新字旧仮名) / 佐藤春夫(著)
かつて半蔵の内弟子うちでしとして少年時代を馬籠本陣に送ったことのある勝重かつしげは落合から。奥の間の机の上では日中の蝋燭ろうそくが静かにとぼった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
そして八丁堀茅場町かやばちょうの国文の大家、井上文雄の内弟子うちでしになった。彼女たちは内弟子という、また他のものは妾だともいう。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
私の内弟子うちでしが(私はその男と、たった二人暮しだったのです)何も知らないで、使のものと応待して居ります。
人間椅子 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
すると医者の内弟子うちでしで薬局、拭掃除ふきそうじもすれば総菜畠そうざいばたけいもる、近い所へは車夫も勤めた、下男兼帯げなんけんたいの熊蔵という、そのころ二十四五さい稀塩散きえんさん単舎利別たんしゃりべつを混ぜたのをびんに盗んで
高野聖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
長いこと半蔵にいて内弟子うちでしとして馬籠本陣の方にあった勝重も、その年の春からは落合の自宅に帰って、年寄役の見習いを始めるほどの年ごろに達している。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
勝重はかつて半蔵の内弟子うちでしとして馬籠旧本陣に三年の月日を送ったことを忘れない。明治十九年の春が来るころには、彼も四十歳に近い分別盛りの年ごろの人である。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
半蔵が連れて来た勝重は、美濃落合の稲葉屋から内弟子うちでしとして預かってからもはや三年になる。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
お三輪は半蔵が郷里に残して置いて来たお粂を思い出させる年ごろで、以前の本所相生町の小娘時代に比べると、今は裏千家うらせんけとして名高い茶の師匠松雨庵しょううあん内弟子うちでしに住み込んでいるという変わり方だ。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)