じゅん)” の例文
天保十二年には、岡西氏とく二女じじょよしを生んだが、好は早世した。じゅん正月二十六日に生れ、二月三日に死んだのである。翌十三年には、三男八三郎はちさぶろうが生れたが、これも夭折ようせつした。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
曇華どんげ水子すいし、文化八年辛未しんびじゅん二月十四日」とあるのも、ならびに皆允成のむすめである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
次いで文化二年十一月八日に生れたのが抽斎である。允成四十二歳、縫三十一歳の時の子である。これからのちには文化八年じゅん二月十四日にむすめが生れたが、これは名を命ずるに及ばずして亡くなった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)