開眼供養かいげんくよう)” の例文
天平てんぴょう十五年聖武しょうむ天皇親しく鋳造のみことのりを発し、天平勝宝四年開眼供養かいげんくようの盛儀が行われてより、現在にいたるまでおよそ千二百年になるが
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
というのはその人達から上げて貰った金で拵えたからで、ある日その三台の仏像を開眼供養かいげんくようするために例のごとく説教しました。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
「賛成かな。それで与八、出来上ってからここで開眼供養かいげんくようというのをやって、それから大菩薩峠の頂へ安置あんちする」
開眼供養かいげんくようはなおその十年後である。もしある天才芸術家の在世を考えるならば、この歳月によって年齢の関係をも顧みなくてはならぬ。一人の天才の存否は時代の趨勢よりも重い。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
この詔が発せられて、大仏殿が実際に建立され、大仏の開眼供養かいげんくようが行われたのはおよそ九年の後、天平勝宝四年の四月であった。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)