そうして、各府、各藩、各県から、貢士を出すという制度であるから、封建と郡県とまじりあった政体であったことを示している。
時はあだかも徳川将軍の処分について諸侯貢士の意見を徴せられたという後のころにあたる。
「各府、各藩、各県は、それぞれ、貢士*を出して議員とする。議事の制度を立てたのは、世論を公けにとりあげて議する政治を実行するためである。」
「各府、各藩、各県、皆な貢士を出し、議員とす、議事の制を立つるは、与論公議を執る所以なり。」
“貢士”の意味
《名詞》
明治維新で諸藩の藩主から推挙され、藩を代表する議事官。
(出典:Wiktionary)
(出典:Wiktionary)
“貢士”の解説
貢士(こうし、満洲語:ᠰᠣᠨᠵᠣᠰᡳ、sonjosi)は、中国の人材登用に関する称号の一つ。時代によって概念が異なる。
周代では諸侯が天子に推薦した士のことを指した。漢代では封国や郡県が推挙した孝廉を指し、唐代・宋代では州や府で行われる試験のことを郷貢といい、合格者を郷貢士といった。
明・清代では会試に合格した者を貢士と呼ぶようになった。貢士のなかで第一等の者を「会元」、10位までの者を「元魁」、11位から20位までの者を「会魁」と称した。
貢士は最終的に殿試で順位が決定し進士となるが、北宋からは殿試で貢士を落第させることがない慣例になったため、一般に会試に合格するとすぐに進士と称された。
(出典:Wikipedia)
周代では諸侯が天子に推薦した士のことを指した。漢代では封国や郡県が推挙した孝廉を指し、唐代・宋代では州や府で行われる試験のことを郷貢といい、合格者を郷貢士といった。
明・清代では会試に合格した者を貢士と呼ぶようになった。貢士のなかで第一等の者を「会元」、10位までの者を「元魁」、11位から20位までの者を「会魁」と称した。
貢士は最終的に殿試で順位が決定し進士となるが、北宋からは殿試で貢士を落第させることがない慣例になったため、一般に会試に合格するとすぐに進士と称された。
(出典:Wikipedia)