覚明かくめい)” の例文
恐らくこれは天明年中に覚明かくめい行者が黒沢口を改修してから登山が盛になり、オンタケと唱うるようになったものと想われる。
二、三の山名について (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
「ではどう遊ばしても、覚明かくめい様にはここ四、五日うちに京の方へお戻りでござりますかいの」
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「叔父の名前か、宮川覚明かくめいというよ」と、一つの事件が起こった。
生死卍巴 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
天明五年に覚明かくめい行者が御岳の黒沢口を開いた時にも、藪原の杣長九郎等十三人の労力奉仕があり、文政十一年に播隆ばんりゅう上人が槍ヶ岳の初登山を行った際にも
山の今昔 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
正面袖門つきの入口にはけやき尺二の板に墨黒々と「天下無敵大円鏡智流刀杖指南、えん優婆塞うばそく聖護院印可しょうごいんのいんか覚明かくめい」とあり、その傍には、(命惜しき者は試合望むべからず)と書き流されてある。
剣難女難 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
尾張の春日井郡といえば、天明五年に御岳の黒沢口の登路を中興した覚明かくめい行者の生れ故郷で、御岳講の最も盛んな土地であるから、斯様な人が出るのも不思議ではないと首肯される。
木曽駒と甲斐駒 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)