藤次郎とうじろう)” の例文
「女一人で、どう我慢しても、この家では一と晩とは過されません。横網の指物師で藤次郎とうじろうというのは、私の知合いですから、あすこまで送っては下さいませんか」
津藤つとう即ち摂津国屋つのくにや藤次郎とうじろうは、名はりん、字は冷和れいわ香以こうい鯉角りかく梅阿弥ばいあみ等と号した。その豪遊をほしいままにして家産を蕩尽とうじんしたのは、世の知る所である。文政五年うまれで、当時四十歳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
三吉座みよしざという小芝居の白壁に幾筋かの贔負幟ひいきのぼりが風に吹かれているのを、一様に黒い屋根の間に見出した時はことに嬉しかった。芝居好きの車夫の藤次郎とうじろうが父の役所の休日やすみには私のりをしながら
山の手の子 (新字新仮名) / 水上滝太郎(著)