苗字帶刀めうじたいたう)” の例文
新字:苗字帯刀
町人乍ら諸大名の御用達を勤め、苗字帶刀めうじたいたうまで許されてゐる玉屋金兵衞は、五十がらみの分別顏を心持かげらせて斯う切出しました。
それでも苗字帶刀めうじたいたうの豪士の威勢に押されて、土地の御用聞大塚の友吉も、無理に掻き廻しもならず、持て餘し氣味に見張つて居ります。
石井三右衞門といへば、諸大名方に出入りするお金御用達、何萬兩といふ大身代をようして、町人ながら苗字帶刀めうじたいたうを許されて居る大商人です。
素姓すじやうの良いせゐか、明日からでも大名にも大旗本にもなれさうな人品ですが、今の身分は苗字帶刀めうじたいたうを許されてゐるだけのこと、態度も身扮みなりも、町人風の慇懃いんぎんさです。
先代は苗字帶刀めうじたいたうを許されたほどの大百姓ですが、和助は養子で、早く女房に死に別れた上、何んの因果か子供運がなく、たつた一人の男の子で、二十三になる清次郎といふのを
町人の子でも、鍵屋は江戸一番の長者で、苗字帶刀めうじたいたうまで許され、日光山修覆しうふくの御用も勤める家柄、町方の御用聞平次では、これ丈けの證據があつても、その跡取りに齒が立ちません。
苗字帶刀めうじたいたうまで許されてゐる嘉兵衞に對しては、岡つ引の平次も遠慮はありました。
上野東叡山とうえいざんの御用を勤めて巨萬の富を積み、町人ながら苗字帶刀めうじたいたうを許され、特に當代の主人六右衞門は、頑固で正直で少し口やかましくはあるが、江戸中の商人あきんど仲間にも立てられた人間です。