至時よしとき)” の例文
高橋至時よしときは既にそれ以前の文化元年に歿くなって、浅草の源空寺に葬られていましたので、忠敬の遺骸もこの遺言に従ってその墓側に葬られました。
伊能忠敬 (新字新仮名) / 石原純(著)
高橋至時よしときの『暦書管見』を見るに、天文書のことであるから、積分の記号などにも出会ったことが知られるが
それはこの年の三月に幕府が暦法改正の仕事を始めるために大阪から暦学天文の大家として知られている高橋作左衞門至時よしとき、ならびにはざま五郎兵衞重富しげとみを江戸に呼びよせたことで、高橋は四月に
伊能忠敬 (新字新仮名) / 石原純(著)