“よしとき”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
義時60.0%
至時40.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
足利蔵人義兼くらんどよしかねかがみの小次郎長清ながきよ、北条小四郎義時よしとき、斎院次官親義じかんちかよし、土肥次郎実平、同じく弥太郎遠平とおひら三浦介義澄みうらのすけよしずみ、同平六義村よしむら、畠山庄司次郎重忠しげただ、長野三郎重清しげきよ稲毛いなげの三郎重成しげなり榛谷はんがえの四郎重朝しげとも
高橋至時よしときは既にそれ以前の文化元年に歿くなって、浅草の源空寺に葬られていましたので、忠敬の遺骸もこの遺言に従ってその墓側に葬られました。
伊能忠敬 (新字新仮名) / 石原純(著)
高橋至時よしときの『暦書管見』を見るに、天文書のことであるから、積分の記号などにも出会ったことが知られるが
それはこの年の三月に幕府が暦法改正の仕事を始めるために大阪から暦学天文の大家として知られている高橋作左衞門至時よしとき、ならびにはざま五郎兵衞重富しげとみを江戸に呼びよせたことで、高橋は四月に
伊能忠敬 (新字新仮名) / 石原純(著)