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窪所
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くぼしょ
ふりがな文庫
“
窪所
(
くぼしょ
)” の例文
「この了現も、なんの沙汰も聞いておらぬ。みかどへ
降
(
こう
)
を乞うたものなら、すぐ左金吾(義貞)の沙汰なり
窪所
(
くぼしょ
)
(武者所)の
門触
(
もんぶ
)
れが廻るはずだが」
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大覚ノ宮は、以後、御父子のお名のりあいをとげられたのち、洛外の一寺に入り、高徳も
窪所
(
くぼしょ
)
の一員としてお仕えしていたが、またふたたび、あの乱だった。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ただ単に「
窪所
(
くぼしょ
)
」ともいい——兵馬の権はここにある。天皇の一令下に、諸国の武士をうごかすところだ。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
供奉
(
ぐぶ
)
には、
六衛府
(
ろくえふ
)
の公卿、近衛の騎馬、
舎人
(
とねり
)
、
仕丁
(
しちょう
)
から、
窪所
(
くぼしょ
)
の侍までみな盛装して従った。
私本太平記:09 建武らくがき帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“窪所”の解説
窪所(くぼどころ)は、建武の新政期(広義の南北朝時代)に朝廷に設置された令外官。十数人が任命され、主に元弘の乱で功績のあった武家が占めた。職掌については二説あり、鎌倉幕府で民事訴訟(雑務沙汰)・訴訟雑務を担当した機関問注所を引き継いだ文官という説と、宮中の要所を天皇の親衛隊として警備した武官という説がある。いずれにせよ、後醍醐天皇自らが関わる重要機関だった。建武政権の崩壊に伴い、短期間で消滅した。
(出典:Wikipedia)
窪
漢検準1級
部首:⽳
14画
所
常用漢字
小3
部首:⼾
8画
“窪”で始まる語句
窪
窪地
窪田
窪垣内
窪川鶴次郎
窪処
窪味
窪坏
窪坑
窪尼