究竟きゅうきょう)” の例文
それから宗教の生活の究竟きゅうきょう、宗教生活というものの最後のゆきづまりの、これ以上ないという究竟のところはどういう世界であるか。
生活と一枚の宗教 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
普通社会の快楽なる究竟きゅうきょうの状態を言いあらわすにはチャチャン・ペンマという一語で事が足りて居る。少し横道に入るようですが、この
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
特に、結句に「天足らしたり」と強く断定しているのは、却ってその詠歎の究竟きゅうきょうとも謂うことが出来る。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
彼の魂は単なる客観に没頭して自己を忘れるためにはあまりに力強いのである。最後に特殊科学の究竟きゅうきょう的な研究は哲学への第三の道として私たちの前に開けている。
語られざる哲学 (新字新仮名) / 三木清(著)
もう一歩根本的に考えてみると畢竟ひっきょうわが国において火災特に大火災というものに関する科学的基礎的の研究がほとんどまるきりできていないということが究竟きゅうきょうの原因であると思われる。
函館の大火について (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
聖道門においては、「煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい」とか、「生死即涅槃ねはん」とか教え、これらの言葉に究竟きゅうきょうの理法を托した。その前後に置く対辞は何なりとも、中に差挟まれた「即」の一字に凡ての密意がかかる。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
大日経には方便すなわち究竟きゅうきょうなりというて誠実なる方法を実行するのがすなわち究竟の目的を達したのである。
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
私の注意は究竟きゅうきょうの世界に最も強く惹かれているのです。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)