癸巳きし)” の例文
抽斎の目見をした年のうるう四月十五日に、長男恒善つねよしは二十四歳で始て勤仕した。八月二十八日に五女癸巳きしが生れた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
嘉永四年には、二月四日に抽斎の三女で山内氏を冒していた棠子とうこが、痘を病んで死んだ。いで十五日に、五女癸巳きしが感染して死んだ。彼は七歳、これは三歳である。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
この事のあった年、五百は二月四日に七歳のとうを失い、十五日に三歳の癸巳きしを失っていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)