玄奘げんじょう)” の例文
これは有名な、かの玄奘げんじょう三蔵が唱えた説でありますが、要するにこれは、どうしても華語すなわち中国の言葉に訳されない梵語が、五種あるというのです。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
それより二百余年おくれて渡天した唐の玄奘げんじょうの『西域記』にはマツラを秣莵羅とし、その都のめぐり二十里あり、仏教盛弘する由を述べ、この国に一の乾いた沼ありてそのかたわらに一の卒塔婆そとば立つ
われわれの身のもだえ、心の悩みを、救い給う仏でありますから、梵語のアバローキティシュバラという原語を訳して、玄奘げんじょう三蔵は「観自在」といっているのであります。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)
玄奘げんじょうが訳した『大毘婆娑論』巻百三に菩薩菩提樹下に修道する所に魔王攻め来る、菩薩念ずらく魔軍鳥形をし来らば我れ猫狸形を作して敵せん、魔軍猫狸形を作し来らば我れ狗狼形を作して敵せん
しかしこの語はあってもなくても、同じことですから、玄奘げんじょう三蔵は、わざとこれを省略せられて、ただ最後に「般若心経」という語だけを、つけ加えられたのであります。
般若心経講義 (新字新仮名) / 高神覚昇(著)