猿掛城さるかけじょう)” の例文
また、毛利輝元の本軍は、福山の半腹に先鋒をおき、そこから西へかけ猿掛城さるかけじょうあたりを中心に、後詰うしろまきをそなえていた。その兵力は約一万余。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)