法成寺ほうじょうじ)” の例文
定海県総持院で顕仁助順淵聖広徳王てふ法成寺ほうじょうじ関白流の名の竜王を七昼夜祭ると、神物出現して蜥蜴のごとし、実に東海竜君なりとづ。
それは、藤原一門の専横せんおうも絶頂期の、法成寺ほうじょうじ関白道長のころの一社会事件であった。
花山かざん・一条の御代から後三条・白河の御代にわたる頃で、御堂関白道長から、その子宇治関白頼通よりみちの頃、美術史の方でいえば法成寺ほうじょうじや宇治の平等院が出来たいわゆる藤原時代の頂上で
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
折柄行われる予定の日吉ひえの祭礼をとりやめると、安元あんげん三年四月、御輿を陣頭に京へくり出して来た。賀茂の河原から、法成寺ほうじょうじの一角に兵をくり出し、御所を東北から囲む体形で迫ってきた。