桂女カツラメ)” の例文
鳥追ひの女太夫ばかりでなく、室町・聚樂の頃までは、年頭祝言に出る者に桂女カツラメがあつた。將軍家の婚禮にも、戰爭の首途にも、祝言を唱へに來た。
此に対する女性は、姥たゝきと言はれるものがあつた。此外にも、くゞつの遊女化せぬ時代の姿を、江戸の末頃近くまで留めてゐたのは、桂女カツラメである。
桂女カツラメは、巫女から出て、本義は失ひながら、まだ乞食者にも藝人にも落ちきつて居ないものである。女で尚、ある時期を主とする乞食者に「姥等ウバラ」がある。
時としては、之に腰を卸して祝言を陳べる様な事もあつた。武家時代に残存してゐた桂女カツラメなどは、「ほかひ」を携へて「ほかひ」して歩いた「ほかひゞと」の有力な残存者であつた訣である。