松井友閑まついゆうかん)” の例文
大坂の石山本願寺も、三好笑岩みよししょうがん松井友閑まついゆうかんを使者として、ともあれ、友好的なことばと、贈り物を供えに来た。信長は、その人々にも
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
二十九日にはさかいへ向い、晦日みそかには、堺奉行所の公式の饗応きょうおうに招かれたり、また松井友閑まついゆうかんの案内で、遊覧などに送っている。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「余り親しい者を遣わしては威厳がない。松井友閑まついゆうかん惟任日向守これとうひゅうがのかみ万見仙千代まんみせんちよの三人をろう。——慰撫というよりは、噂の実否をただす使いとして」
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
松井友閑まついゆうかん様、明智光秀様、そして万見仙千代まんみせんちよ様なども、安土のお旨をうけて、幾度か来ては説き、説いてはむなしくお立ち帰りになったとか伺っておりまする
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
織田信長は、土地の旧家、松井友閑まついゆうかんの宅にのぞんで、十人衆の人々に眼通りをゆるした。同時に、土地がら多い天下の名器を一室に見て、その中から所望の物をたずさえて帰った。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)