斉昭なりあき)” の例文
旧字:齊昭
井伊直弼なほすけが安政の大獄で狂気じみたテロリズムを行つたのも、この勤皇思想の中核水戸学の総主たる斉昭なりあきを押へる為めだつたのだ。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)
水戸老公斉昭なりあき側用人そばようにん安島あじま弥次郎に与ふる書に、「何を申も夷狄は迫り居り候へば、勢州は大切の人」と云ひ、福井侯慶永よしながも亦
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
しかし、幕末政局を貫流した中心スローガン「尊王攘夷」は、これら国学派尊王論に由来しないで、水戸斉昭なりあきに主唱された。
尊攘戦略史 (新字新仮名) / 服部之総(著)
主人の前中納言殿(水戸斉昭なりあき)は、和歌をこのまれ、本居学もとおりがくに志し、本居の説を信用されていた。
建儲けんちょ問題に連坐した者はみんなやっつけようというんだ、井伊掃部の指図に違いない、尾張の慶勝よしかつ公、水戸の斉昭なりあき公、御三家でさえ謹慎隠居を命ぜられたくらいではないか、左内を
城中の霜 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
あの斉昭なりあきの行状を見るがいい、烈公が何だ——その血筋を引く一橋が本丸に乗込んだ。思い通り天下を乗取って水戸万歳のようなものだが、いまに見ていろ、徳川を売るのは水戸だ——
大菩薩峠:37 恐山の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
水戸の徳川斉昭なりあきで、嘉永六年六月にアメリカの提督ペルリが軍艦四隻を率ゐて浦賀に入港し、国論が沸騰したときに、大砲七十四門を幕府に献じて世人を驚かせた人である。
二千六百年史抄 (新字旧仮名) / 菊池寛(著)