)” の例文
然れどもわづかに現在の「生」をうかゞひ知ることを得るなり、現在の「生」は夢にして「生」の後がなるべきや否や、吾人は之をも知る能はず。
身躰四肢必らずしも人間の運作を示すにあらず、別に人間大に施為せゐするところあり。ひそかに思ふ、終にさめざるもの真のか。終に寐せざるもの真の寐か。
富嶽の詩神を思ふ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
果して寤か、果して寐か、我是を疑ふ。深山しんざん夜に入りて籟あり、人間昼に於て声なき事多し。むる時人真に寤めず、寐る時往々にして至楽の境にあり。
富嶽の詩神を思ふ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)