“宝生新”のいろいろな読み方と例文
読み方 | 割合 |
---|---|
ほうしょうしん | 66.7% |
ほうしやうしん | 33.3% |
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
“宝生新”の解説
宝生新(ほうしょう あらた/しん、1870年11月16日(明治3年10月23日) - 1944年(昭和19年)6月10日)はワキ方宝生流能楽師。ワキ方宝生流十世宗家。本名、宝生朝太郎。
九世宗家宝生金五郎の子として東京日本橋に生まれる。八世宝生新朔は伯父に当たる。7歳で『猩々』のワキで初舞台。伯父新朔や父につき修業し16歳で一時廃業するが、27歳で復帰して新と名のり、1905年 10世家元となる。 1937年初世梅若万三郎とともに第1回帝国芸術院会員。
門下から松本謙三、宝生弥一、森茂好など。
芸風は新朔に近く、繊細な謡を得意とした。美声とととのった容姿で「隅田川」「道成寺」などのワキをつとめ、明治・大正・昭和期に活躍し、名人と謳われる。夏目漱石に謡を教えたことでも知られる。
(出典:Wikipedia)
九世宗家宝生金五郎の子として東京日本橋に生まれる。八世宝生新朔は伯父に当たる。7歳で『猩々』のワキで初舞台。伯父新朔や父につき修業し16歳で一時廃業するが、27歳で復帰して新と名のり、1905年 10世家元となる。 1937年初世梅若万三郎とともに第1回帝国芸術院会員。
門下から松本謙三、宝生弥一、森茂好など。
芸風は新朔に近く、繊細な謡を得意とした。美声とととのった容姿で「隅田川」「道成寺」などのワキをつとめ、明治・大正・昭和期に活躍し、名人と謳われる。夏目漱石に謡を教えたことでも知られる。
(出典:Wikipedia)