奚疑塾けいぎじゆく)” の例文
天民貧道など奚疑塾けいぎじゆくに居候時分、百ひき持た弟子入でしいりが參れば、よい入門と申候物が、此頃は天でも五山でも、二の弟子入はそれ程好いとは思はず、流行はあぢな物に御座候。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
姪はもと女子の謂ふ所であつても、公羊傳くやうでん舅出きうしゆつの語が廣く行はれぬので、漢學者はをひをてつと書する。そこで奚疑塾けいぎじゆくに學んだ壽阿彌は甥と書せずして姪と書したものと見える。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
香亭かうてい雅談に拠るに、冬嶺は山本北山の門人で、奚疑塾けいぎじゆくにあつた頃は貧窶ひんる甚しかつた。その始て幕府に仕へたのは嘉永中の事で、此より弟子大に進み、病客も亦蝟集ゐしふしたさうである。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)