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大覚寺統
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だいかくじとう
ふりがな文庫
“
大覚寺統
(
だいかくじとう
)” の例文
あるいは、後醍醐の
大覚寺統
(
だいかくじとう
)
の警戒の目がきびしく、後伏見、花園、
光厳
(
こうごん
)
のどなたにも近づきまいらすことができずにいるのか。
私本太平記:10 風花帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後醍醐
(
ごだいご
)
天皇の
延元
(
えんげん
)
元年以来五十余年で
廃絶
(
はいぜつ
)
したとなっているけれども、そののち
嘉吉
(
かきつ
)
三年九月二十三日の
夜半
(
やはん
)
、
楠
(
くすのき
)
二郎正秀と云う者が
大覚寺統
(
だいかくじとう
)
の親王
万寿寺宮
(
まんじゅじのみや
)
を
奉
(
ほう
)
じて、急に
土御門
(
つちみかど
)
内裏
(
だいり
)
を
襲
(
おそ
)
い
吉野葛
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
“大覚寺統”の解説
大覚寺統(だいかくじとう)は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて(南北朝時代には南朝として)皇位に即いた皇室の系統で、持明院統と対立していた。名の由来は、第88代後嵯峨天皇の皇子であり第89代後深草天皇の実弟にあたる第90代亀山天皇の子、後宇多天皇が京都の外れの嵯峨野(京都市右京区)の大覚寺の再興に尽力したこと、及び、出家後は大覚寺に住んで院政を行ったことによる。
(出典:Wikipedia)
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
覚
常用漢字
小4
部首:⾒
12画
寺
常用漢字
小2
部首:⼨
6画
統
常用漢字
小5
部首:⽷
12画
“大覚寺”で始まる語句
大覚寺
大覚寺派