大田南畝おおたなんぽ)” の例文
文化五、六年の頃稲毛屋山いなげおくざんが当時知名の儒者文人の詩を採って『采風さいふう集』三巻を編成した。その中に大田南畝おおたなんぽの作と並べて竹渓の詩が載せられている。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
大田南畝おおたなんぽが先人自得翁の墓誌を見るに、享保二十年七月、将軍吉宗公中川狩猟の時徒兵の游泳をけみするや自得翁水練すいれんに達したるを以て嘉賞する処となりしといふ。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
後年に至って、わたくしは大田南畝おおたなんぽがその子俶ししゅくを伴い御薬園の梅花を見て聯句れんくを作った文をよんだ時、小田原城址じょうしの落梅を見たこの日の事を思出して言知れぬ興味を覚えた。
十六、七のころ (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そしてその文字は楷書であるが何となく大田南畝おおたなんぽの筆らしく思われたので、かたわらの溜り水にハンケチをぬらし、石の面に選挙候補者の広告や何かの幾枚となく貼ってあるのを洗い落して見ると、案のじょう
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)