大掾だいじよう)” の例文
これは其原因が不明ではあるが、因縁いんねんのもつれであるだけは明白である。護は常陸のさき大掾だいじようで、そのまゝ常陸の東石田に居たのである。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
然し二番目の攝津大掾だいじようの阿波鳴門の出語りは予に一種の「整復の音の感味」を味はしめたやうに思はれた。
京阪聞見録 (旧字旧仮名) / 木下杢太郎(著)
大掾だいじようの妻6・24(夕)
記に「然る間さき大掾だいじよう源護の告状に依りて、くだんの護並びに犯人平将門及び真樹まき等召進ずべきの由の官符、去る承平五年十二月二十九日符、同六年九月七日到来」
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)