吉川元春きっかわもとはる)” の例文
元就もとなり以来の蓄積がものをいっとるし、それに現主の輝元はともかく、吉川元春きっかわもとはるといい小早川隆影こばやかわたかかげといい、そう甘くは見られん。各〻雄才だ
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
吉川元春きっかわもとはる小早川隆景こばやかわたかかげも、智勇兼備とよんで恥かしくない大将である。ただこの国に生れ、この家門に育ち、その遺訓を奉じて
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
智略縦横の人小早川隆景たかかげ沈勇才徳ちんゆうさいとくの人吉川元春きっかわもとはる。——こうふたりは亡父ちち元就もとなりの偉大な半面を公平に分け合って持っていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
伯耆ほうき備中びっちゅう、その余にわたる敵国のうごきを大観し、吉川元春きっかわもとはるの軍、小早川隆景たかかげの軍、毛利輝元もうりてるもとの軍などが、これへ来援してくる場合の大勢をもあらかじめ察するに便であった。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして、この微々たる家が、やがて信長、秀吉などの戦国時代にいたっては、かの毛利元就もとなり輝元てるもとを生み、またその支流からは、吉川元春きっかわもとはる小早川隆景こばやかわたかかげらの輩出を見るのであった。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
こういう大胆な策を立てたものは、吉川元春きっかわもとはるだった。——が、それも余り奇策に過ぎると、輝元も隆景も、賛成しなかった。そして全大軍をあげて、まず上月城を攻むべしとなった。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)