八上やかみ)” の例文
すでにそれがしの八上やかみの城なども、それになりかけて来たところで、広言ながら、この先まだ一年や一年半は支えてごらんに入れてもよい。はははは
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
避りし所以ゆゑは、その八十神おのもおのも稻羽いなば八上やかみ比賣よばはむとする心ありて、共に稻羽に行きし時に、大穴牟遲おほあなむぢの神にふくろを負せ、從者ともびととしてて往きき
名は暉造、明治拾年拾月四日鳥取縣八上やかみ曳田ひけた村に生る。幼時父母に伴はれて三重縣に轉住。其の地の小學校を經て津中學校を卒業した。中學在學中同志數名と共に和美會雜誌經文學等發行。
「孔雀船」解説 (旧字旧仮名) / 中山省三郎(著)
大黒天は大国主命を仏化したという説は足利氏の代に既にあったので、『古事記』に大国主の兄弟八十神各稲羽いなば八上やかみ姫を婚せんと出で立つに、大国主に袋を負わせて従者として往った話あり。
だが、かんじんな丹波第一の敵の嶮要けんよう——八上やかみ城だけはなおまだ頑としてちずにあった。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八上やかみ城の波多野はたの一族と大善院とは交渉浅くない。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)