信雄のぶお)” の例文
小牧の徳川勢と信雄のぶお勢が聯合れんごうして、一万八千人を十六編隊にわかち、二重堀の前から、東へ出て
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
信長一族としては嫡子ちゃくし信忠のぶただ、弟の信雄のぶおも行った。水野、蒲生がもう、森、稲葉一鉄なども従って行く。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
秀吉は、大恩ある故主信長公の遺子、神戸かんべどのを、自滅させ、今また、信雄のぶおどのへ弓をひき、常に、武門を騒がせ、庶民を禍乱からんに投じ、自己の野望をとぐるために、手段をえらばぬ元兇げんきょうである。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この曠世こうせいな大演武には、信長の一族、岐阜ぎふ中将信忠のぶただ北畠きたばたけ中将信雄のぶお、織田三七信孝のぶたか、柴田、前田、明智、細川、丹羽にわそのほかの諸侯から将士約一万六千余と、会衆十三万余人という盛況の下に行われ
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)