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中大兄皇子
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なかのおおえのおうじ
ふりがな文庫
“
中大兄皇子
(
なかのおおえのおうじ
)” の例文
蘇我
(
そが
)
一族はまもなく
中大兄皇子
(
なかのおおえのおうじ
)
と
藤原鎌足
(
ふじわらのかまたり
)
によって滅ぼされ、天智天皇大化改新を断行されて、わが国家がはじめて諸制度を整えたことは史に明らかである。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
蘇我氏が、後年になって、
中大兄皇子
(
なかのおおえのおうじ
)
など、わずか数人の巧妙な陰謀によって倒されたのちには、日本ははじめて、郡県制の国となり、天皇は唯一の権力者となった。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
この九十年間には
蘇我入鹿
(
そがのいるか
)
の専断と横死あり、ついで
中大兄皇子
(
なかのおおえのおうじ
)
と
鎌足
(
かまたり
)
による大化改新の断行、わが国礎の漸く定ると思われた間もなく、
壬申
(
じんしん
)
の大乱が起るといったように
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
のちに天皇
天智
(
てんち
)
となった
中大兄皇子
(
なかのおおえのおうじ
)
が、その人であった。レジスタンス式の気力をそなえた人物であったにちがいない。その人は、
中臣鎌子
(
なかとみのかまこ
)
と共謀して、蘇我氏の権力を奪うことを企てた。
天皇:誰が日本民族の主人であるか
(新字新仮名)
/
蜷川新
(著)
斑鳩宮は灰燼に帰し一片の
廃墟
(
はいきょ
)
と化してしまった。その後いくばくもなくして蘇我一族も滅亡し、
中大兄皇子
(
なかのおおえのおうじ
)
と
中臣鎌足
(
なかとみのかまたり
)
によって大化の改新がなされたことは周知のところであろう。
大和古寺風物誌
(新字新仮名)
/
亀井勝一郎
(著)
“中大兄皇子(
天智天皇
)”の解説
天智天皇(てんじてんのう 626年〈推古天皇34年〉- 672年1月7日〈天智天皇10年12月3日〉)は、日本の第38代天皇(在位:668年2月20日〈天智天皇7年1月3日〉- 672年1月7日〈天智天皇10年12月3日〉)。
諱は葛城(かづらき/かつらぎ)。皇子時代の中大兄皇子(なかのおおえのおうじ / なかのおおえのみこ)の名でも知られる。「大兄」とは、同母兄弟の中の長男に与えられた大王位継承資格を示す称号で、「中大兄」は「2番目の大兄」を意味する語。
(出典:Wikipedia)
中
常用漢字
小1
部首:⼁
4画
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
兄
常用漢字
小2
部首:⼉
5画
皇
常用漢字
小6
部首:⽩
9画
子
常用漢字
小1
部首:⼦
3画
“中大兄”で始まる語句
中大兄