上手じょうて)” の例文
派手なもの、上手じょうてのものは、時に従って流れる姿を追うている。だが日常の用品は粗末にされたためか、かえって昔のままに残されている場合が多い。
北九州の窯 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
「楽」と銘打たれる茶碗の如きは民器を手本としながら、心はすでに「上手じょうて」なのです。もうあの「井戸」の茶碗に見らるる如き無心さはどこにもありません。
民芸とは何か (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
一つは個性の表現を旨とする個人的作品であり、一は官とか富豪とかの命による貴族的な上手じょうての作である。私たちは大体に以上の如く分類して考えねばならぬ。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
否、実際は民器を取扱っている場合でも、いかにそれを「上手じょうて」の心において解しているでしょう。
民芸とは何か (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
古伊賀こいが水指みずさし種壺たねつぼでさえあった。あの茶碗ちゃわんは朝鮮の飯鉢めしばちであった。上手じょうての華麗な美で、よく「渋さ」の域に達したものがあろうか。もとより雑器のみが工藝ではない。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
何の因縁によるのか、ここでも上手じょうて白物しろもん下手げて黒物くろもんとが対峙たいじする。対峙するというより、むしろ白物のみが存在するという方がいいかもしれぬ。黒物の方は振り向く者がない。
苗代川の黒物 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
これは上手じょうての作ではなく、ずっと下手げてな民衆の日常生活に交わってきた焼物である。
工芸の道 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
大概在名のものは上手じょうてに属し、弱くなり、かつ作為が甚だ著しくなる。
民芸四十年 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)