“よしひで”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
良秀71.4%
義栄14.3%
視秀14.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
そのかみ、猛火の中のわが娘を見たという、仏画師良秀よしひでのように、——人の世の掟を超えた、芸道三昧の恍惚境にひたり切って、——浮世絵師芳年の顔は、名ある高僧のように澄み切ったのでした。
芳年写生帖 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
三好の残党は、病人の足利義栄よしひでをかかえて、海路を阿波あわへ逃げ落ち、松永弾正だんじょう久秀も、とうとう屈して、信長の陣門に、降を乞うた。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これは阿波あわ三好党とよぶ四国の兵で、去年、京都から駆逐された十河そごう一族が中心である。都落ちの時、病人の足利義栄よしひでをつれて阿波へ逃げた十河存保そごうまさやすが、総指揮に当っている。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
沼田事件と云うのは、氏政上洛の条件として上州沼田を真田からいてくれ、と云った。秀吉が真田にさとして、沼田を譲らしめた。だが、真田視秀よしひでの墳墓のある名胡桃なくるみだけは除外した。
小田原陣 (新字新仮名) / 菊池寛(著)