“ほんだこうずけのすけまさずみ”の漢字の書き方と例文
先年出羽の配所で死んだ
本多上野介正純——その謀士で、釣天井の仕掛けを
拵えたと思われている、
河村靱負こそは、お紋の本当の父親だったのです。
慶長十八年四月に頓死したが、
本多上野介正純が石見守に陰謀が有ったと睨んで、直ちに
闕所に致し置き、
妾を詮議して白状させ、その寝所の下を調べさしたところが、二重の石の
唐櫃が出て
十四日に江戸を立って、十九日に
興津の
清見寺に着いた。家康は翌二十日の
午の刻に使を駿府の城に
召した。使は一応老中
本多上野介正純の
邸に入って、そこで衣服を改めて
登城することになった。