“とくせん”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
督戦66.7%
徳川11.1%
徳撰11.1%
督選11.1%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
後醍醐は、そのおわすところの大岳の大本営で、親しく、軍事を聞かれ、ときには、武士への軍忠状まで、ご自身、お書きになるほどな督戦とくせんぶりであった。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこから小艇に乗換えて插橋川そうきょうせんを遡行し、九万浦きゅうまんほ付近で上陸した洋夷の一隊は、自ら俄羅斯オロス国(ロシア)軍隊と揚言しつつ、忠清道徳川とくせん伽洞かどうにある大院君の父王、南延君球なんえんくんきゅうの陵に向った。
撥陵遠征隊 (新字新仮名) / 服部之総(著)
「親——親分え、具足町ぐそくちょう徳撰とくせんの——若えもんでごぜえます。ちょっとお開けなすって下せえまし。とんでもねえことが起りましただよ、え、もし、藤吉の親分え。」
その秀吉から信長へ、願わくば君公の本営を進めて、御威光の督選とくせんあらんことを、要請していた。
茶漬三略 (新字新仮名) / 吉川英治(著)