“しらかわらくおうこう”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
白河楽翁公66.7%
白河楽翁侯33.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
安永より天明てんめい末年あたかも白河楽翁公しらかわらくおうこうの幕政改革の当時に至るまでおよそ二十年間は蜀山人の戯作げさく界に活動せし時にして狂歌の名またこの時において最も高かりき。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
鉄砲洲てっぽうずなる白河楽翁公しらかわらくおうこう御下屋敷おしもやしき浴恩園よくおんえんは小石川の後楽園こうらくえんと並んで江戸名苑の一に数えられたものであるが、今は海軍省の軍人ががやがや寄集よりあつまって酒を呑む倶楽部クラブのようなものになってしまった。
たぶん江戸で白河楽翁侯しらかわらくおうこう政柄せいへいを執っていた寛政のころででもあっただろう。智恩院ちおんいんの桜が入相いりあいの鐘に散る春の夕べに、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に載せられた。
高瀬舟 (新字新仮名) / 森鴎外(著)