“こうじゅく”のいろいろな漢字の書き方と例文
語句割合
彀塾50.0%
黄熟50.0%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
弘庵は弘化四年土浦の藩校を去り江戸に帰って日本橋槙町まきちょう僦居しゅうきょし翌年麹町平川町に移りまたその翌年下谷三味線堀しゃみせんぼりに転じ家塾を開いてこれを彀塾こうじゅくと称した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
鷲津光恭、通称五郎、字は子礼、蓉裳ようしょうと号す。天保四年八月一日に生れたので、安政五年には二十六歳である。蓉裳は江戸にあって昌平黌に入り、また藤森弘庵の彀塾こうじゅくに学んだのである。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
六月にはいると、麦は黄熟こうじゅくして刈り取られ、胡瓜きゅうりくきみじかきに花をもち、水草のあるところにはほたるやみを縫って飛んだ。
田舎教師 (新字新仮名) / 田山花袋(著)