えり)” の例文
怪漢の帽子といわず、えりをたてたレンコートの肩先といわず、それから怪漢の顔にまでおびただしい血糊ちのりが飛んでいた。大した獲物だった。
人間灰 (新字新仮名) / 海野十三(著)
茶店の床几しょうぎ鼠色ねず羽二重はぶたえ襦袢じゅばんえりをしたあら久留米絣くるめがすりの美少年の姿が、ちらりと動く。今日は彼は茶店の卓で酒をんでいるのだ。
桃のある風景 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
謙譲のつまはづれは、倨傲きょごうえりよりひんを備へて、尋常じんじょう姿容すがたかたち調ととのつて、焼地やけちりつく影も、水で描いたやうに涼しくも清爽さわやかであつた。
伯爵の釵 (新字旧仮名) / 泉鏡花(著)
北斎ほくさいの描いたという珍しい美人画がある。そのえりがたぶん緋鹿ひがか何かであろう、恐ろしくぎざぎざした縮れた線で描かれている。
浮世絵の曲線 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
「電気学講義録」がポケットからみ出している制服オウバアのえりの中で、茶っポい一重瞼ひとえまぶたの眼がノンキそうにまたたいているのだ。
冬枯れ (新字新仮名) / 徳永直(著)
夜着のえりに手を懸けたまま、長い間蒲団の上に起きて坐っていた。そして、口の中では、絶えず「籾と糠、籾と糠!」とつぶやいていた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
三百両の金をしまって立ち上ろうとする。お松は情けないかおをして、眼にはいっぱいの涙を含んで、小さなあごえりにうずめてうなずきます。
そのえりは一はさみだけよけいに切ったもので、そこから首筋が見えていて、若い娘らがいわゆる「少しだらしない」と称するものだった。
お勢母子ぼしの者の出向いたのち、文三はようやすこ沈着おちついて、徒然つくねんと机のほとり蹲踞うずくまッたまま腕をあごえりに埋めて懊悩おうのうたる物思いに沈んだ。
浮雲 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
北向の屋根の軒先から垂下る氷柱つららは二尺、三尺に及ぶ。身を包んで屋外そとを歩いていると気息いきがかかって外套がいとうえりの白くなるのを見る。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
聴衆は一度に手をたたく。手をたたくのは必ずしも喝采の意と解すべからざる場合がある。ひとり高柳君のみは粛然しゅくぜんとしてえりを正した。
野分 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
おくれ毛をき上げえりもとを直し腰を浮かせて私の話を半分も聞かぬうちに立って廊下に出て小走りに走って、玄関に行き、たちまち
饗応夫人 (新字新仮名) / 太宰治(著)
すると一人の男、外套がいとうえりを立てて中折帽なかおれぼう面深まぶかかぶったのが、真暗まっくらな中からひょっくり現われて、いきなり手荒く呼鈴よびりんを押した。
牛肉と馬鈴薯 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
ビジネスカットとかいうのに刈り込んで、えりの深い毛糸のシャツを着て、前垂まえだれがけで立ち働いている姿にすら、どことなく品があった。
新世帯 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
二人はゾツとえりをかき合せました。助けられた今になつて見ると、三途の川の夜櫻が、あまり氣味のいゝものではなかつたのです。
頸部には荒々しい絞殺の瘡痕が見え、土色に変色した局部の皮膚は所々破れて少量の出血がタオル地の寝巻のえりに染み込んでいた。
デパートの絞刑吏 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
時男さんが来ると、母は羽織のえりをなほしてやつたり、着物のほころびを縫つてやつたり、私の兄弟かなぞのやうにやさしくしました。
時男さんのこと (新字旧仮名) / 土田耕平(著)
ぐづ/\してゐるうち、大川を渡つた悪魔がぐ追ひついて、もう二足三足で、えりがみをつかまうとするまでに近く、迫りました。
豆小僧の冒険 (新字旧仮名) / 宮原晃一郎(著)
あるひは炬燵こたつにうづくまりて絵本読みふけりたる、あるひは帯しどけなき襦袢じゅばんえりを開きてまろ乳房ちぶさを見せたるはだえ伽羅きゃらきしめたる
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
かけ初めと称して子供が七歳になる迄、毎年この日には年の数よりも一つ多い餅をつるにとおし、えりに掛けさせる習いが常陸ひたちにはあった。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
笑い声と歌声と歓語の声がき返り、人々は皆上衣のえりを外したり、片袖を脱いで下着を出したり、行儀作法を打ち忘れて騒いでいた。
少将滋幹の母 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
いい渡すと小次郎は、何思ったか、小柄こづかでそこの樹の皮を削りだした。又八の頭の上に、削られた松の皮が落ちて、えりの中まで入った。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
肌寒い夜風がえりに吹きこんだ。「蓑笠さりゅう——」と彼は口につぶやき、刀を腰におとして袂のなかに腕を組んだ、「——独り耕す石水の浜」
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
西郷隆盛さいごうたかもりのそばにいると心地ここちよくおう身体からだから後光ごこうでも出ているように人は感じ、おうは近づくとえりを正さねばならぬほど威厳いげんがあった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
熱も少しあるらしく、いやりとした風がえりもとや首すぢにあたるごとにぞくぞくする。それに風のかげんで厠臭ししうがひどくて堪へられぬ。
赤蛙 (新字旧仮名) / 島木健作(著)
長いつやつやした髪をオールバックにして、派手なしまのダブル・ブレストを着ている。まっ白なワイシャツのえり、大柄な模様のネクタイ。
暗黒星 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
あごはいつもきれいに剃ってあるし、髪にはキチンと櫛目くしめがはいっている。散歩に出ると、野の花をえりしたりして帰ってくる。
キャラコさん:03 蘆と木笛 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
私は今まで不吉な色でよどんで見えた加藤家の一角が、突然さわやかな光を上げて清風に満ちて来るのを覚ええりを正す気持ちだった。
睡蓮 (新字新仮名) / 横光利一(著)
クラブを出て往来に立つと、彼はまず第一にこちこちのネクタイをえりもとから引んもぎって、胸いっぱいにふうっと息をついた。
イオーヌィチ (新字新仮名) / アントン・チェーホフ(著)
着ている物は浅葱あさぎ無紋むもん木綿縮もめんちぢみと思われる、それに細いあさえりのついた汗取あせとりを下につけ、帯は何だかよく分らないけれども
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
赤いえりをかけ出したり、急に素晴らしいネクタイをつけたり、禿頭はげあたまへ香水をふりかけて見たりし出した時に用うべき言葉である。
めでたき風景 (新字新仮名) / 小出楢重(著)
その毛皮のえりのみたちがいることを知り、自分を助けてくれるように、そして門番を説き伏せてくれるように、と蚤たちに頼んだりした。
審判 (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
みね「旦那様此方こちらの方をお向きなすっちゃアいけませんよ、もっとえりを下の方へ延ばして、もっとズウッとこゞんでいらっしゃい」
検疫所が近づいたのだなと思って、えりもとをかき合わせながら、静かにソファの上にひざを立てて、眼窓めまどから外面とのもをのぞいて見た。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
と熱心に願い立ててその品物を渡しますと、客人は例のあかだらけの銀貨をちょっとめ、それから自分のえりでその銀貨を拭いて
チベット旅行記 (新字新仮名) / 河口慧海(著)
何度もやって見てとうとうあきらめたらしく、外套がいとうえりを立て襟巻をぐるぐる首に巻いて、身体からだを丸くして縮まり込んでしまった。
硝子を破る者 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
お高は、しがみついて、惣七のえりに、顔をうずめた。おおっ、おおっと聞こえるお高の泣き声にもつれて惣七の声がしていた。
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
きまっていないのはえりだけですが、父のように黒とか黄とかいうようなった渋好みのものは僕みたいに未熟な者にはとても使えませんから
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
敦子あつこさまはそうって、わたくしひざをすりせました。わたくし何事なにごとかしらと、えりただしましたが、案外あんがいそれはつまらないことでございました。——
トゥロットはミスがえりのたかい海軍服を着て、ばかに長い片うでをぶら下げて、キイ/\声で号令をかけるすがたをおもひうかべて見ました。
青い顔かけの勇士 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
起き上って電燈をつけると、女は戸口のところにえりをかき合せてうずくまっており、まるで逃げ場を失って追いつめられた眼の色をしている。
白痴 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
木枯しが夕暮れの街をはしり、胡麻粒のように見える人も、みんな外套がいとうえりを立てて、うつむきがちな速足で歩いていた。
メリイ・クリスマス (新字新仮名) / 山川方夫(著)
清らかな白の表衣をしとやかに着なして、咽喉のど元と手頸のあたりでボタンをかけ、大粒な黄ろい飾り玉を二列に分ッてえりから胸へ垂らしていた。
あいびき (新字新仮名) / イワン・ツルゲーネフ(著)
京子は闇の中で、村川の顔を見上げながら、村川の着物のえりをいじっていた。村川はいじられる度に魂を凍らすような悪感が身体中に伝わった。
第二の接吻 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
亀吉の足音が、裏木戸の外へ消えてしまうと、おびえた子供のように、歌麿は夜具のえりから顔を出して、あかりを見廻した。
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
部屋に入るなりミネはえりまきもとらずに、こたつに顔を伏せて泣いた。外でみた閑子があんなに世間なみな顔であったことがうれしかったのだ。
妻の座 (新字新仮名) / 壺井栄(著)
シャツのえりが開けていて、せた胸や、風にふくらんでまさに裂けようとしてる帆布のような弱々しい張りきった皮膚が、その間から見えていた。
「いやこれは大変、浪さんはいつそんなにお世辞が上手じょうずになったのかい。これではえりどめぐらいはやすいもんだ。はははは」
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
投げた脇差は、傍輩はうばいと一しよに半棒で火を払ひけてゐる菊地弥六の頭を越し、えりから袖をかすつて、半棒に触れ、少し切り込んでけし飛んだ。
大塩平八郎 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
そこには花嫁の顔はなく、見も知らないところの妖怪の顔が、婚礼の晴着のえりを抜き、ヌッと提灯の火に晒らされていた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)