あせ)” の例文
みすみす、機会を目のまえにしながら、なんて事だろう、あせればあせるほど眠れなくなって、その夜折竹はまんじりともしなかった。
人外魔境:03 天母峰 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
大将は、栄誉ある位置におかれた最初の手柄をたてようとして、たいへんあせりぬいていたが、なかなか思わしい報告が入って来ない。
二、〇〇〇年戦争 (新字新仮名) / 海野十三(著)
また、じりじりとあせってもならぬ。姿こそ、変生女性へんじょうにょしょうよそおっては居れ、胆は、あくまで猛々たけだけしいわたしでなければならぬ。眠ろう——
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
叱ってみたけれども驚かないで、提灯の上へとまり、後ろへ舞い、その志はひたすら中なる火を取らんとして、あせるもののようです。
大菩薩峠:20 禹門三級の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
人は総て死を期していない、むしろ生きんがためにあせっているのである。随って動揺また動揺、何ら冷静の気を見出すことは能ない。
一日一筆 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
勝家の陣へは、苦しくなった信孝からの救援の便が、次から次とやって来る。勝家大いにあせるけれども、容易には此処を通り難い。
賤ヶ岳合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
亀の子がなかなか掴まらぬのですっかり自信をなくし、胸が苦しくあせさわいで、半分泣いた。ふと、自分を呼ぶ声にうしろ向くと
(新字新仮名) / 織田作之助(著)
鼻毛で妻君を追払った主人は、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうとあせていであるがなかなか筆は動かない。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
あらゆる方法のもとに、自分を害さずばまない状態にあることもうなずけたのである。——なんで生きる工夫にあせってみる余地があろう。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
運命を新しい方向に転回させたいとあせったが、まるで穴蔵に落ちこんだように、どうすることもできない。まったく参りきってしまった。
霧の蕃社 (新字新仮名) / 中村地平(著)
心の中であせっていたものは死んだ夫に代って自分を救い、交際場裡における女王のごとき自分の地位を保証してくれる結婚の相手であり
陰獣トリステサ (新字新仮名) / 橘外男(著)
なんとしたら伝えられるだろうといたずらにあせるばかりで、簡潔的確の表現を見出せないのだ。どうせくどい以上、さらに言えば
如何なる星の下に (新字新仮名) / 高見順(著)
帰って貰いたくもあり、もう少し、何かを相手の心に残したいあせりもある。田部の眼は、自分と別れて以来、沢山の女を見て来ているのだ。
晩菊 (新字新仮名) / 林芙美子(著)
「何も急いだり、あせったりすることはいらないから、仕事なり恋なり、無駄をせず、一揆いっきで心残りないものを射止めて欲しい」
老妓抄 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
暗黒くらやみくは分らないけれど、其姿が見えるようだ。私も跡から探足さぐりあしで行く。何だか気があせる。今だ、今だ、と頭の何処かでわめく声がする。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
節子には早く身を堅めさせたいというあの兄のあせった心を知り、先方さきの望み手というは毎月六七十円の収入のある勤め人であることを知り
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
その都度、跳ね上り、わが体をたゝき、気狂ひの真似をして恥づかしさの発情を誤魔化さうとあせらずにはゐられないのである。
途上 (新字旧仮名) / 嘉村礒多(著)
勘次彦兵衛の二人を放ち刻々拾ってくるその聞込みを台に一つの推量をつけようと、例になくあせる日が続いていたが——。
すてはまず袴野の顔に激昂のあとのないのを見取り、ついで貝ノ馬介が手綱を取っている手の平の汗までわかるようなあせりを、眉の間に見附けた。
惰力で筆を執っていてもイツマデっても油が乗って来なかった。イクラもだいてもあせっても少しも緊張して来なかった。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
こう思うにつけても、張教仁は、どうしてももう一度紅玉エルビーを手に入れたいとあせるのであった。彼はそれから尚頻繁はげしく、北京ペキンの内外をさがし廻った。
沙漠の古都 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
いわれて見ると、無意識にではあったが、彼はあさましくも、相手の表情のかすかな変化を見極みきわめて、毒杯の方を避けようとあせっているのに気附いた。
吸血鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
いかにもがいてもあせってもこの大なる牢獄から脱することはできぬ。得利寺で戦死した兵士がその以前かれに向かって
一兵卒 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
彼は夫人の今の言葉が言外に洩らしている疑問を受けて、何より先に彼女の信頼を得ようとあせりながら、一生懸命な、熱情のこもった口調でつゞけた。
早く何か云はなければと氣をあせつて、私は、彼の後のドアから吹き込む隙間風が寒くはないかと、間もなくいてみた。
私の経験から生じる一般的助言としては、「恋愛にあせるな」「結婚を急ぐな」と私はいいたい。二十五歳までの青年学生が何をあわてることがあろう。
学生と生活:――恋愛―― (新字新仮名) / 倉田百三(著)
蟠「まア/\そうあせるな、心配すると面白くない、互いに熱くなって筋を出しては面白くない、金はどうでも宜い、まア/\一杯飲んで機嫌く帰れ」
業平文治漂流奇談 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
しかし地獄と極楽との間は、何万里となくございますから、いくらあせって見た所で、容易に上へは出られません。
蜘蛛の糸 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
それがいゝんですわ。人間はそんなにせか/\あせつたつて駄目ですもの。私なんか、これまでとはすつかり人間を
桑の実 (新字旧仮名) / 鈴木三重吉(著)
さあこうなると、捜査はそろそろあせり気味になって来た。表には君子が番をしていたし、裏口には、出たところで焼鳥屋が、誰も通らなかったと頑張っている。
銀座幽霊 (新字新仮名) / 大阪圭吉(著)
彼らは、かつて「しべりあで新しい宗教が発掘」されたように、いま自分達の身辺に、全然あたらしい美醜と善悪と大小の標準を査定しようとあせっているのだ。
踊る地平線:11 白い謝肉祭 (新字新仮名) / 谷譲次(著)
あせって、見探していた三人の目は、はからずも道向うの一軒の木戸へ止まった。ここへ這入れ、と言わぬばかりにその木戸がぽっかりと口をあけていたのである。
流行暗殺節 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
そこから男の顔のなぞを解こうとあせるのである。それはもつれた糸の玉をほぐすもどかしさにも似ていた。
(新字新仮名) / 島木健作(著)
船頭のきちというのはもう五十過ぎて、船頭の年寄なぞというものは客が喜ばないもんでありますが、この人は何もそうあせって魚をむやみにろうというのではなし
幻談 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
気長にして、ここの温泉につかっていればいいのを、時々、あせって足試しなどするのがいけないのだ。
偽悪病患者 (新字新仮名) / 大下宇陀児(著)
お増がまた気をあせって、このごろでは磯野の手を離れて、芳村との関係がもとかえったとか、芳村がお増をどこかに隠しておくとかいうことだけは、糺の話でも解った。
足迹 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
おじいさんは、おおきなのがれないので、でありませんでした。どうかして、それをはやく、あたりがくらくならないうちにってしまいたいと、あせっていました。
千代紙の春 (新字新仮名) / 小川未明(著)
これはさうした苦行の末には自然と自身に体得できる筈であるから早急にあせり散らす必要は無い。
雀の卵 (新字旧仮名) / 北原白秋(著)
やわかおくれじとあせれども、馬車はさながら月を負いたる自家おのれの影のごとく、一歩を進むるごとに一歩を進めて、追えども追えども先んじがたく、ようよう力衰え、息せまりて
義血侠血 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
必死の力でふりほどき、逃れようとあせってみたが、からみつく者は更に倍する怪力であった。
閑山 (新字新仮名) / 坂口安吾(著)
小便までが凍ってしまうようで、なかなか出ず、あせりながら用を足すと急いで廊下へ出た。と隣室から来る盲人にばったり出会い、繃帯を巻いた掌ですうっと貌をでられた。
いのちの初夜 (新字新仮名) / 北条民雄(著)
放心のあまりに現在そのものの感じがなくなり、私は現在そのものをしきりに思い出そうとしてあせっているのかも知れなかった。——それから私は再び我に返って歩き出した。
美しい村 (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
四十にしてようやく確固とした己れの道を見いだしたのである。が、それを実現するのにあせらなかったのではない。五十にしてようやく天命を知り、落ちつきを得たのである。
孔子 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
撥ね上ろうとあせった。両側には二人の子供が寝息を立てていた。お松は周囲を眼で探した。やさしい笑皺の中に自分を見守っている眼があった。が、彼女はもう一度廻りを探した。
反逆 (新字新仮名) / 矢田津世子(著)
そうなるとあせるからたまりません。覚えのない三十トランテ四十キャラントをやる、銀行賭博バカラをやる、手持ちの二十万法は、たった三日のうちに、みな指の間からずり落ちて、残ったのがわずか三百法。
盛子が見舞ひに来たとき、彼はそれを口に出さうとしてあせつた。病気以来、思ふことが口に出せないで、彼は別人のやうに気短かに、癇癪持になつてゐた。これも亦驚くべき変化だつた。
医師高間房一氏 (新字旧仮名) / 田畑修一郎(著)
犯人は一日も早く子供を金に換えようとあせっている。つまり多額なる値段でチャアリイをロス氏へ売り返そうとしている。ロス氏は、いかなる高値も辞せずにそれを買い戻そうとしている。
チャアリイは何処にいる (新字新仮名) / 牧逸馬(著)
彼は揺れながら芳秋蘭の行衛ゆくえを見た。彼女は悲鳴のために吊り上った周囲の顔の中で、浮き上り、沈みながら叫んでいた。彼は彼を取り巻く渦の中心を彼女の方へ近づけようとあせり始めた。
上海 (新字新仮名) / 横光利一(著)
しかし一度伝統が民間に下ったとなると、公家の方でもあせり出したらしい。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
和作はあせりがちな今の自分を、いたはつてやりたい心持で一ぱいになつた。
朧夜 (新字旧仮名) / 犬養健(著)