もと)” の例文
旧字:
(御宅の御新造さんは、わしとこに居ますで案じさっしゃるな、したがな、またもとなりにお前の処へは来ないからそう思わっしゃいよ。)
清心庵 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
家に、防ぐ筈の石城が失せたからだと、天下中の人が騒いだ。其でまた、とり壊した家も、ぼつぼつもとに戻したりしたことであった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
法水も、その刺戟を隠し了せることはできなかったが、彼は、検事の言葉がなかったもののように、そのままもとの語尾を繰り返した。
潜航艇「鷹の城」 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そつともとのやうに書物のあひだに収めて、なほもそのへんの一冊々々を何心なにごゝろもなくあさつてくと、今度は思ひがけない一通の手紙に行当ゆきあたつた。
すみだ川 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
もつとも取返しが附いてもとの身の上になつたからつて、ちつとも好い事はない、もつと不好いけない事もあつた……で、臥反ねがへりを打つて、心の中で
椋のミハイロ (新字旧仮名) / ボレスワフ・プルス(著)
「丞相は国の大老である。一失ありとて、何で官位をおとしてよいものぞ。どうかもとの職にとどまってさらに、士気を養い、国を治めよ」
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「浅井さんを、もとの人間にしようっていうにゃ、どうしたってあなたの体から手を入れてかからなけあ、駄目だと私は思うがね。」
(新字新仮名) / 徳田秋声(著)
幸「もとお出入りをしたお屋敷の御妾腹ごしょうふくと云うが、けれどもお眼に懸った事もねえが、何んだかお可愛そうな様な筋合すじあいがあるのだよ」
霧陰伊香保湯煙 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
「君、僕ももうもとの徳蔵ではないよ、お金はうなる程出来るし、加之おまけに弟は貴族院にるし、何一つこの世に不足は無くなつたよ。」
次には硯の面をまた砂紙でこすって新しくしもとくらいの粗さにして、別の墨で全く同様な実験を繰り返すという具合にして実験を進めた。
暫くしてから氷に手を添へた心程こゝろほど身を起して気恥きはづかしさうに鏡子があたりを見廻した時、まだ新しい出迎人でむかへにんもとつれの二人も影は見えなかつた。
帰つてから (新字旧仮名) / 与謝野晶子(著)
もとは牧場の跡である。草原はゆるやかなスロープで更に村境の峰に続き、峰の頂きには、楢の古木が一株、烈風を受けて枝を張つてゐる。
(新字旧仮名) / 岸田国士(著)
「あの方なら屹度菊太郎を褒めて下さいますわ。この頃はまたもとの我儘に戻りましたけれど、入院中は申分なかったんですから」
勝ち運負け運 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
退職の敬之進は最早もう客分ながら、何となく名残が惜まるゝといふ風で、もとの生徒の後にいて同じやうに階段を上るのであつた。
破戒 (新字旧仮名) / 島崎藤村(著)
すべきようもないので、よんどころなしにもとのなりわい、むかしの朋輩ほうばいに顔を見らるるも恥ずかしい。して、お師匠さまはどうしてござる
玉藻の前 (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
室に入りて相対して見れば、形こそもとに比ぶればえてたくましくなりたれ、依然たる快活の気象、わが失行しっこうをもさまで意に介せざりきと見ゆ。
舞姫 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
フト思い付いて帳場の隅に立てかけてある親方用の、銀金具の短かい鳶口とびぐちに手をかけたが、又、思い直してもとの処に置いた。
芝居狂冒険 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
柔かそうな腕が、時とすると二の腕まであらわれて、も少し持上もちゃげたら腋の下が見えそうだと、気を揉んでいるうちに、又もとの位置に戻って了う。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
その晩二人は寝床へ入ってから、明朝あした自分達を生んでくれたもとの母さんを尋ねに三里彼方あなたの、隣村の杉の木の森をたずねに出る約束をしたのです。
迷い路 (新字新仮名) / 小川未明(著)
一間ばかりの所を一朝かかって居去いざって、もとの処へかろうじて辿着たどりつきは着いたが、さて新鮮の空気を呼吸し得たは束の間
一旦は否定してそこからはもう自分の生活感情が舟出してしまっている筈の女の歴史のもとの港をふりかえるのである。
三人は殆ど息もつかずに螺旋階段を馳登かけのぼった。頂上はもとの発光室を改造した夜行虫観測所で、幾種類もの観測鏡や特殊の分光器などが備付そなえつけてある。
廃灯台の怪鳥 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
会釈えしゃくして春日はもとの客間へ還った、善兵衛は苦り切って居た。併しまだ少し既往について直聴して置く必要があった。
誘拐者 (新字新仮名) / 山下利三郎(著)
「壊れた水車」は檻をまたもとのように床下に下ろした上で、二人を一座の中央に引据えて、その黒い服をぎとった。
流線間諜 (新字新仮名) / 海野十三(著)
二幕目丹吾兵衛たんごべえ住家の場は光俊戦場を逃れてもと明智の臣なる漁師丹吾兵衛を訪ひて、そこにかくまはれし明智の妾菖蒲あやめの方に明智の系図を渡す処なり。
二成は金を還した後で、きっと間違いがあるだろうと思ってみたが、もうもとの財産が買いもどされたと聞いたので、ひどく不思議に思ったのであった。
珊瑚 (新字新仮名) / 蒲 松齢(著)
あるいは阿多福おたふくが思をこらしてかたちよそおうたるに、有心うしんの鏡はそのよそおいを写さずして、もとの醜容を反射することあらば、阿多福もまた不平ならざるをえず。
学者安心論 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
没義道もぎどうに頭を切り取られた高野槇こうやまきが二本もとの姿で台所前に立っている、その二本に竿ざおを渡して小さな襦袢じゅばん
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
水夫長のジョーブ・アンダスンが船中では一番適任だったので、水夫長という名称はもと通りであったけれども、幾分か副船長の役を勤めることになった。
稲荷坂というのは、もと布哇はわい公使の別荘の横手にあって、坂の中ほどに小さい稲荷のほこらがある。社頭から坂の両側に続いて桜が今を盛りと咲き乱れている。
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
しかし細君の熱心な介抱により段々と良くなり、一八四四年にはもとの体になって、また研究にとりかかった。
およそ一町あまりにしてみち窮まりて後戻りし、一度もとの処に至りてまた右に進めば、幅二尺ばかりなる梯子はしごあり。このあたり窟の内闊くしてかえって物すさまじ。
知々夫紀行 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
「これでお前さん方が来てくれて、内がにぎやかに成つただけ、私ももとから見ると余程よつぽど元気には成つたのだ」
金色夜叉 (新字旧仮名) / 尾崎紅葉(著)
葛籠つゞらの底に納めたりける一二枚いちにまいきぬうちかへして、浅黄あさぎちりめんの帯揚おびあげのうちより、五つう六通、数ふれば十二つうふみいだしてもとの座へもどれば、蘭燈らんとうのかげ少し暗きを
軒もる月 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
解官されて源氏について漂泊さすらえた蔵人くろうどもまたもとの地位にかえって、靫負尉ゆぎえのじょうになった上に今年は五位も得ていたが、この好青年官人が源氏の太刀たちを取りに戸口へ来た時に
源氏物語:18 松風 (新字新仮名) / 紫式部(著)
欣之介から取上げられて再び小作人たちの手にゆだねられた裏の畑地は、何事も起らなかつたもののやうに、間もなく、以前と少しの変りもないもとの姿にかへつて行つた。
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
「お知らせいたそうかとも思いましたが、こちらはあんまり片寄った処でございますので。本当に、せめてもう一度なりと、もとの処でお会いいたしとうございました」
ほととぎす (新字新仮名) / 堀辰雄(著)
本箱も机も、違い棚の上の置物も、それから衣桁にぬぎすてた褞袍までが、皆もとの位置を保っていた。そしてそれらのものが、私の内生活をまざまざと私に蘇えらした。
運命のままに (新字新仮名) / 豊島与志雄(著)
大層ふるえているね……おれ達のもとの家は暖かくて、気持がよかったな。お前も思いだすだろう。
暗中の接吻 (新字新仮名) / モーリス・ルヴェル(著)
されば「エホバ、ヨブの艱難なやみを解きてもとかえししかしてエホバついにヨブの所有物もちものを二倍に増し給」
ヨブ記講演 (新字新仮名) / 内村鑑三(著)
お前のもとの亭主といふ、助三さんといふ人にも。この春以来、さる所で、ちよくちよく顔を合はす己れ。未練たらたら聞いても居る。まさかに、そんな、寝醒めの悪い事は出来ぬ。
したゆく水 (新字旧仮名) / 清水紫琴(著)
その時まで彼の唯一の規矩きくだった合法的肯定とはまったく異なった一つの感情的啓示が、彼のうちに起こってきた。もとの公明正大さのうちに止まるだけでは、もう足りなくなった。
伝統は丁度大木のようなもので、長い年月を経て、根を張ったものでありますから、不幸にも嵐に会って倒れてしまうと、再びもとのようにち直るのは容易なことではありません。
手仕事の日本 (新字新仮名) / 柳宗悦(著)
故郷の風景はもとの通りである、しかし自分は最早以前の少年ではない、自分はただ幾歳いくつかの年をしたばかりでなく、幸か不幸か、人生の問題になやまされ、生死の問題に深入りし
画の悲み (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
仰々しく礼を述べられて私は、薬などほんの気休めに過ぎぬ故、少しでも早く医者に見せねば——と重ねて注意した。宿坊は、たちまちもとの静寂へ……なにごとも無かったかの如く。
ある偃松の独白 (新字新仮名) / 中村清太郎(著)
田畑は七八荒れたきままにすさみて、もとの道もわからず、七九ありつる人居いへゐもなし。
あの一本の木をもとの位置のまゝ保存する為に這麼形こんなかたちの家を建てたのだとヌエが云つた。
巴里より (新字旧仮名) / 与謝野寛与謝野晶子(著)
書斎に行って見れば、仙崖の画も、隠元の書も、もとの通りであるが、床の間には老師の油画の懸物に線香を上げてある。在りし人の面影のみはいくらか留めて居る、併しその人は見えぬ。
源十郎はもとどおりに左膳をその邸内に潜伏させることになったのだけれど。
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
「処が、そーで無い。見給へ、二服呑めばもとに帰ると書いて有るよ」、と白頭が真面目で云ふ。と幽霊が、「三服呑めば死ぬると書いてあるだらう」と笑ふ。すると三人が一時にドツと笑つた。
俺の記 (新字旧仮名) / 尾崎放哉(著)