旗下きか)” の例文
木村芥舟先生は旧幕府きゅうばくふ旗下きかの士にして摂津守せっつのかみと称し時の軍艦奉行ぐんかんぶぎょうたり。すなわち我開国かいこくの後、徳川政府にてあらた編製へんせいしたる海軍の長官ちょうかんなり。
信長の出発に際して之を危んだ旗下きかの諸将多く、家康も必勝を期せず、子信康を岡崎に還らしめんとした位である。
長篠合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
よ、徳川氏瓦解がかいに際し、旗下きかの士にして、御蔵元おくらもとに負債したる総高、ほとんど一千万円に上りしというにあらずや。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
寺部へ寺部へとまっしぐらに前進するうちに、味方さえ知れぬほど迅速に、熱田街道から横道へれて、そこにひそんでいた松平元康の旗下きか約四百の兵と
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しかりといえども勝氏もまた人傑じんけつなり、当時幕府内部の物論ぶつろんはいして旗下きかの士の激昂げきこうしずめ、一身を犠牲ぎせいにして政府をき、以て王政維新おうせいいしんの成功をやすくして
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
天正十八年七月……北条の旗下きかに属せし関八州の城々一カ所も残らず攻め落して、残るところはこの小田原一カ城……これを囲むところの関白秀吉の軍勢
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
こゝに信州しんしう六文錢ろくもんせん世々よゝ英勇えいゆういへなることひとところなり。はじめ武田家たけだけ旗下きかとして武名ぶめい遠近ゑんきんとゞろきしが、勝頼かつより滅亡めつばうのちとし徳川氏とくがはし歸順きじゆんしつ。
十万石 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
当時とうじにおける外交の事情じじょうを述べんとするに当り、小栗上野介おぐりこうずけのすけの人とりよりかんに、小栗は家康公いえやすこう以来有名ゆうめいなる家柄いえがらに生れ旗下きか中の鏘々そうそうたる武士にして幕末の事
それはほぼ伊達氏の歴史と相伴ったもので、すなわち、右大将源頼朝うだいしょうみなもとのよりとも旗下きかであった非蔵人ひくろうど朝宗が、伊達氏の始祖であり、その二代、常陸介ひたちのすけ宗村の代に、原田家の祖、与次郎がその家臣となった。
悪いことはすすめぬから、いまのうちに柴田家しばたけ旗下きかについて、後詰ごづめ援兵えんぺいをあおぐが、よいしあんと申すものじゃ
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また古来士風の美をいえば三河武士みかわぶしの右に出る者はあるべからず、その人々について品評すれば、文に武に智に勇におのおの長ずるところをことにすれども、戦国割拠せんごくかっきょの時に当りて徳川の旗下きかに属し
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
袁紹えんしょう旗下きかにいた者ですが、袁紹が洛陽以来の仕方を見るに、不徳な行為が多いので、ひるがえって、公孫瓚こうそんさんこそは、民を安める英君ならんと、身を寄せた次第です。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「これに連れて参りました侍は、佐々木六角殿の旗下きかでも、かねて勇名の聞えていた日野城のあるじ蒲生賢秀がもうかたひでどの。——また、側にひかえているのは、御嫡子ごちゃくし鶴千代つるちよどのでございます」
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「われわれが、進んであの君の旗下きかいてきたのは、目ちがいでなかったな」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、旗下きかの人々が、令を伝えに出る。とばりのうちは、同朋衆や小姓や賄方まかないかたの者たちの動きでなごんだ。折ふしまた、近郷の社や寺々や庄屋などが、連れ立って、祝の酒と土地の産物などをさかなに持ち
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「理窟は待て。兄上には、すでに、佐々木定綱に命じて、行家どのを討てとおいいつけなされたそうだが、義経は、情において、叔父御を討つに忍びない。——そういう兵馬は義経の旗下きかにはない」
日本名婦伝:静御前 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
文醜ぶんしゅうは、袁紹の旗下きかで豪勇第一といわれている男である。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこで行き会った劉玄徳りゅうげんとくとその旗下きかの関羽、張飛たちも
三国志:02 桃園の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
曹仁そうじん旗下きかで、淳于導じゅんうどうという猛将があった。
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
時節到来、旗下きかに参ぜよ
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
旗下きかに馳せつけよ。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)