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賀名生
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あのう
ふりがな文庫
“
賀名生
(
あのう
)” の例文
それに反して、さっそく、活気のある朝議となっていたのは
賀名生
(
あのう
)
の山村の朝廷である。
暗澹
(
あんたん
)
たる前途に
一道
(
いちどう
)
の光明をここに見たのだ。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
為に後村上天皇は難を
賀名生
(
あのう
)
に避けられ、吉野の行宮は師直の放火によって炎上し、南朝の頽勢は既に如何ともし難い。
四条畷の戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
隠岐
(
おき
)
へお
伴
(
とも
)
された。後村上天皇の御母儀。後皇后に昇られ、正平十四年四月二十九日
賀名生
(
あのう
)
で崩御。御年五十九。
中世の文学伝統
(新字新仮名)
/
風巻景次郎
(著)
後村上天皇は、
賀名生
(
あのう
)
を
発輦
(
はつれん
)
されたとも、まだともいわれ、いずれにせよその親衛軍を前駆に、近く都門へ還幸あるにはちがいない——
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それから先は、楠木
正儀
(
まさのり
)
たちが守護して、ともかくお身だけは無事に
賀名生
(
あのう
)
へひきあげられたものの、なんと儚い京都還幸の希望だったことか。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“賀名生”の解説
賀名生(あのう)は、奈良県五條市(旧吉野郡西吉野村)にある丹生川の下流沿いの谷である。南北朝時代(吉野朝時代)、南朝(吉野朝廷)の首都となった地域の一つ。
(出典:Wikipedia)
賀
常用漢字
小4
部首:⾙
12画
名
常用漢字
小1
部首:⼝
6画
生
常用漢字
小1
部首:⽣
5画
“賀名”で始まる語句
賀名