行場ぎょうじょう)” の例文
犬鳴山の行場ぎょうじょうへ籠ったのは翌年の三月一じつのことであるが、その山へこもるようになったのは前年の十月に霊夢を感じて仙術の修練に志したがためであった。犬鳴山では毎日滝にうたれて荒行あらぎょうをした。
神仙河野久 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)