菊池容斎きくちようさい)” の例文
旧字:菊池容齋
このベンケイが師匠の家に来るようになった手続きというのは、当時菊池容斎きくちようさいの高弟に松本楓湖ふうこという絵師があった。
その時芳年は三十歳、御家人の子に生れて武士の血をけたはずですが、月岡雪斎せっさいに養われ、菊池容斎きくちようさい葛飾北斎かつしかほくさいの風を学んで、心も姿もすっかり町絵師になり切って居りました。
芳年写生帖 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
これに加ふるに国芳門下より出でたる河鍋曉斎かわなべきょうさいを以てし、あるひは団扇絵うちわえ摺物すりものの板下画にたくみなるの故を以て柴田是真しばたぜしんを挙げ、あるひは色摺板本を出せし故を以て菊池容斎きくちようさい幸野楳嶺こうのばいれい
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)