聖道門しょうどうもん)” の例文
ために、滔々とうとうと、軟弱な弊風へいふうがあったことも否めません。自力聖道門しょうどうもんが、絶対力をきずいたのは、そういう時代の反動でございました。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
聖道門しょうどうもんの修業は正像の時の教えであるが故に上根上智のものでなければ称することは出来ない。これを仮りに西国への宣旨とする。
法然行伝 (新字新仮名) / 中里介山(著)
仏教を大別して、聖道門しょうどうもん易行門いぎょうもんとに二分します。聖道門は修業的、易行門は信仰的の区別はありますが、兎に角、根本において「どう」の存在を信じない仏教はありません。
仏教人生読本 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
印度インドのヴェーダ教や新プラトー学派や仏教の聖道門しょうどうもんはこれを知るといい、基督教や浄土宗はこれを愛すといいまたはこれに依るという。各自その特色はないではないがその本質においては同一である。
善の研究 (新字新仮名) / 西田幾多郎(著)
打っても、打っても、血の出るほど叩いても、ついに開かれなかった過去の聖道門しょうどうもんから、一転、法然上人の易行いぎょうの道へ行ったあの機縁も
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ、それを汲み得ないで、人は好んで、未だに、聖道門しょうどうもんの自戒や懐疑にさまようているだけなのだ。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)