“画院(翰林図画院)”の解説
翰林図画院(かんりんとがいん /en: Hanlin Painting Academy)は、中国の古い宮廷画家組織で、唐の時代に始まり宋代に最盛期を迎えた。官位が定められ若い画家の教育も行われたことから、中国版の美術アカデミーとみなされることがある 。画院と略称される。
8世紀の唐代には、皇帝が下す詔勅の起草などにあたらせるため学者や文人を擁する官庁「翰林院」が設立されたが(翰は「ふで」の意)、そこには琴棋書画に秀でた人材を集めた「伎術院(ぎじゅついん)」が併設されており、はじめ「翰林図画院」は、このうちの書画を担う組織だった。のち独立して皇帝直属の機関として運営される。
最盛期の南宋時代には、とくに写実主義の洗練を通じて中国絵画をきわめて高い水準に押し上げ、「院体画」と呼ばれる独自の様式を確立した。
(出典:Wikipedia)
8世紀の唐代には、皇帝が下す詔勅の起草などにあたらせるため学者や文人を擁する官庁「翰林院」が設立されたが(翰は「ふで」の意)、そこには琴棋書画に秀でた人材を集めた「伎術院(ぎじゅついん)」が併設されており、はじめ「翰林図画院」は、このうちの書画を担う組織だった。のち独立して皇帝直属の機関として運営される。
最盛期の南宋時代には、とくに写実主義の洗練を通じて中国絵画をきわめて高い水準に押し上げ、「院体画」と呼ばれる独自の様式を確立した。
(出典:Wikipedia)