海部アマベ)” の例文
山人の寿詞・海部アマベ鎮詞イハヒゴトから、唱門師の舞曲・教化、かぶきの徒の演劇に到るまで、一貫してゐるものがある。其はいはひ詞の勢力である。
志賀シカシマの祭りに、お迎へ人形の出ることは、海部アマベの民と、八幡神の信仰とが結びついて居る、一つの記念と見られる。海部の民も、人形ニンギヤウを重んじた。
あまはせつかひとは、海部駈使丁アマハセツカヒの義である。神祇官の配下の駈使丁ハセツカヒとして召された海部アマベの民を言うたらしい。
だから実際は、山部ヤマベ海部アマベの種族と言ふでふ、元日本民族の分岐エダモノ者であつたのが、多いのではないかと思ふ。
くゞつは海部アマベの一部であるが為に、海部の祀る神は、海部降服の後は、主神たる八幡神に対しては、精霊の位置に置かれた訣だが、其でも、彼等はやはり、祖先伝来の神に奉仕した。
其は種類も多様で、安曇アヅミ海部アマベに関係のない詞章も多かつたことは明らかである。